電話相談 (10時〜16時)はこちらから 03-3370-4078

セミナーのお申し込み

登進研公式サイトトップ > セミナーのご案内 > 登進研バックアップセミナー90回記念スペシャルトーク

セミナーのご案内

登進研バックアップセミナー90回記念スペシャルトーク

人はなぜ不登校になるのか 第一部


2014年9月7日に開催された登進研バックアップセミナー90「90回記念スペシャルトーク」の内容をまとめました。

講師・司会を務めていただいたのは、次の方々です。
講師 海野千細(八王子市教育委員会学校教育部教育支援課相談担当主任)
   今村泰洋(世田谷区総合教育相談室教育相談専門指導員)
司会 小栗貴弘(作新学院大学女子短期大学部講師)

テーマ①:子どもとの距離のとり方

     

小栗  今回の90回記念スペシャルトークでは、①子どもとの距離のとり方、②受容と甘やかしの境目はどこにあるのか、③きょうだいへの影響、④回復へのプロセス、という4つのテーマについて参加者のみなさまから寄せられた質問に答えながら、海野先生と今村先生の対話形式でお話を進めていきます。そして、最後に「人はなぜ不登校になるのか」というメインテーマに迫ってみたいと思います。
 では、最初のテーマ「子どもとの距離のとり方」に関して、参加者の方から次のようなご質問をいただきました。このご質問について、まず海野先生にお話を伺います。
 自分自身が不安で不安で、子どもを励ますどころかよけいに不安にさせてしまいます。「あなたはあなたのままでいいよ」と思っていても、家のなかで一日中ネットやゲームをしているのを見ると、ついカッとなって爆発することもあり、そのたびに親としての自分を責め、自信をなくしてしまいます。
海野  こうした思いは、親なら多かれ少なかれ感じたことがあるのではないでしょうか。親の気持ちが不安定になるのにはいくつかの要素が考えられますが、ひとつは「この先どうなるんだろう」という不安が大きいのではないかと思います。たとえば風邪なら、かなりひどい状態になってもやがて熱が下がり1週間もすれば治るかな、という見通しが立つので、それほど不安にならずに済みます。ところが不登校の場合、回復までのプロセスはだいたいこんな感じで、ほぼこのくらいの期間で元気になるという見通しがあるようでないわけです。また、親の会などに参加すると、いろいろな子どもの状況にふれる機会があるかと思いますが、それぞれ状況が異なっている場合が多く、一般的なパターンがつかめないという不安もあるでしょう。
 さらに、とくにお母さんの場合は、自分が子どもを育ててきたという思いが強ければ強いほど、気持ちが不安定になる度合いが強くなるだろうと思います。一方、お父さんの場合は、子どもが学校に行けなくなったときも、一般的にいってそれほどショックを受けないのではないでしょうか。なぜなら、お父さんは仕事に一所懸命で、子育てはお母さんに任せてきたという思いがある。つまり、「俺のせいじゃない!」というわけです。だから、あまり傷つかないのだろうと思います。
 お母さんは、自分が子どもを育ててきたという思いがあるからこそ大きなショックを受けざるを得ないのだと思いますが、逆にいうと、お母さんが大きなショックを受けて不安になり、どうしたらいいかわからないという段階をなんとかクリアすることが、子どもへの大きなサポートになる、あるいは、そうしたつらい時期を経ることそのものが、親自身にも、そして子どもにも大きなサポートになると考えたらどうかなと思います。
 しかし当然、お母さんの気持ちは揺れますから、揺れているお母さんに抱えられている子どもも一緒に揺れます。すると、お母さんは、つい言わなくてもいいことを口にしたりするわけです。子どもは、親が怒るのは「自分が悪い」からだと受けとめがちです。「自分が悪い」と思った子どもの気持ちは安定するわけがありませんから、それがますますお母さんを不安定にするという悪循環におちいります。ですから、子どものそばにいるお母さんの心の安定をどのように図るかが大きなテーマになるのです。

「子どもを見ないようにする」ことのススメ

     

小栗  子どもと一緒にいる時間が長いお母さんは、どうしても「自分のせいで不登校になってしまったのでは……」と自分を責めることが多くなりがちですが、その段階をクリアすること自体が大切で、意味があることなんだ、というお話でした。
 では、その段階をどうクリアするかについて今村先生にお話を伺いたいと思います。
今村  子どもが不登校になると、お母さんはいろいろなマイナス感情を抱いてしまうことが多いと思いますが、そうした気持ちをなんとか安定する方向にもっていくことはそう簡単ではありません。
 とりわけ専業主婦で日中も家にいるお母さんの場合、子どもは親が期待するような動き方はなかなかしてくれないわけですから、子どもの姿を見たら気になるのは当たり前です。朝起きてくる時間にしても、起きてから何かを食べるか食べないかも、また、お母さんが何かを食べなさいと言っても言わなくても、子どもは自分で決めて、食べたいときは食べるし、食べたくないときは食べない。そういう子どもの姿を見れば見るほど、お母さんは子どもに振り回され、振り回されるたびに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう、いつになったらこの状態から抜け出せるんだろうと考えるようになってしまうわけです。
 そこで私からの提案ですが、それならば子どもの姿を見ないようにするのが最良の方法だと思います。見ちゃったら気になるのは当たり前。子どもは家のなかをウロウロしているわけですから、見ないようにするためには思い切って一定時間、外出するのが得策かもしれません。買い物でもウインドーショッピングでも、ちょっと洒落たカフェでコーヒーを飲んでもいい。そうやって気分転換を兼ねて時間をつぶすなどして、3〜4時間くらい家を離れてみることをおすすめします。
小栗  子どもを見ないようにするために外出する時間をつくるというご提案でしたが、これは子どもを避ける、見捨てる、放置するという意味ではなく、もっとポジティブに、子どもとよりよい関係を築くために適度な距離を置くことが必要であり、そのために外出すると考えればいいのかなと思いました。

あふれそうな思いを誰かに聞いてもらう

     

海野  いま今村先生が、子どもを見ないようにするという話をされましたが、それは物理的な距離をとるということですよね。親子間の距離のとり方には、物理的な距離と、もうひとつ、心理的な距離をどうとるかという問題があります。
 同じ家のなかにいるとか同じ部屋にいるとか、物理的な距離は変わらなくても、心理的距離、つまり、お母さんが気持ちのうえで子どもと距離がとれるようにするにはいくつかの方法があると思います。
 ひとつは、お母さんの胸のなかであふれそうになっている思いを誰かに聞いてもらうこと。それによってお母さんの気持ちが和らぎ、イライラが少し治まってくることがあります。もっとも身近な存在であるお父さんに聞いてもらうのがいいかもしれませんが、夫婦の会話には難しいところがあって、他人なら普通にやりとりできるのに、夫婦であるがゆえに話がうまくかみ合わないということもあります。お母さんが積もり積もった気持ちをわかってもらいたくて話をしたら、じつはお父さんも会社で嫌な思いをしていたなんてシチュエーションだと、話の途中で互いに怒りだして終わってしまうという展開になりかねません。
 人の話を聞くことは慣れないとけっこう難しいのですが、たとえばお母さんが「あなたもあの子に何か言ってやってよ」と言ったとき、お父さんは文字どおり「何かを言ってくれ」と言われたと思うのではないでしょうか。ところがお母さんは「何かを言ってくれ」と頼んでいるのではなく、「そんなふうに言いたくなる私の大変さをわかってほしい」という気持ちだったりする。でも、お父さんは言葉どおりの受けとめ方をするものだから、そこに食い違いが生じるわけです。
 ですからお父さんは、お母さんに何か言われたとき、言われたとおりに何かをしなければいけないと思うのではなく、「どういう気持ちで言ってきたんだろう」というスタンスで聞けるといいかもしれません。つまり、お母さんの不安な気持ちを少しでも和らげよう、お母さんの大変さをわかろうとする気持ちで話が聞けるといいのかなと思います。

〈私は〉メッセージで気持ちを伝える

     

海野  日本の文化は、「人の気持ちを察する」ことを善しとする文化といえます。そうした文化のなかで、私たちは自分の気持ちを言葉で表現するトレーニングをあまり受けずに大人になってしまったことから、相手に気持ちを伝えることが苦手な人が多いように思います。そして、受けとめる側もなるべく言葉どおりに受けとめようとして、その背後にある気持ちを受けとめることがなかなかできない面があります。
 「親業」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、これは親の役割をひとつの職業としてとらえる考え方です。その親業の手法のひとつに「〈私は〉メッセージ」というものがあります。私たち親が子どもに何かを話すとき、たとえば「うるさい!」と言うとき、「〈あなたが〉うるさい!」というように、つねに主語が「あなた」になっています。その〈あなたが〉の代わりに〈私は〉という主語を使うと、相手を責める会話にならないで済む、という手法です。この考え方は、日本でどれだけ定着するかはわかりませんが、とても大事な視点だと思います。
 たとえば、お母さんが「そんなに昼間からゴロゴロしていると、勉強は遅れるし、少しは将来のことを考えなさいよ」と言った場合、これは「〈あなたが〉考えなさいよ」という意味ですよね。これを〈私は〉メッセージに変えると、「そんなに昼間からゴロゴロしているのを見ると、私、本当に嫌になっちゃう」となります。同じ内容を伝えるにしても、自分が責められていると感じるよりは、お母さんの気持ちが伝わったほうが、子どもとしては受けとめやすいわけです。

子どもがピリピリしているときの対応

     

小栗  子どもとの心理的な距離を縮めたくても、子どもがピリピリしていると腫れ物に触るような対応しかできないことがあります。そんなときはどうすればいいでしょうか。
海野  子どもがピリピリしているとき、親が「ああ、ピリピリしているな」と感じることは、とても大事なんです。子どもにとっていちばん嫌なのは、自分の状態と関係なく親のペースでかかわってくること。無神経に自分の気持ちに踏み込んできたり、土足で心を荒らされるようなかかわりは、すごく嫌だと思います。だから、親が子どもの様子を見て、「ピリピリしているな」とキャッチできることそのものが、まずは親御さんの「力」なんだと思ってください。
 「受容」という概念を説明するときに、子どもが「安心すること」「喜ぶこと」「元気になること」を探してやってみてくださいとお願いすることがあります。ところが、親が「これで安心するのではないか」と思ってやったことが的外れだったりして、子どもがすごく嫌な顔をする場合があります。そんなときは、まず謝ること。そうやって試行錯誤を重ねていくうちに、少しずつ子どもの心にヒットする接し方が見つかってくると思います。
 大切なのは、一発で子どもが望んでいることが見つからなくても、わかろうとする接し方を積み重ねていくこと。そういう親の姿勢が、子どもにとってはありがたいことではないかと思います。
 とはいえ親にも余裕がありませんから、子どものふれられたくない部分に踏み込んでしまったり、振り回してしまったり、嫌な思いをさせてしまうことも少なくありません。そんなとき、子どもの様子や表情を見て、親としてのあり方を再度見直しながら、接し方を工夫していくことが大切だと思います。
今村  子どもがピリピリしていて、親が腫れ物に触るような接し方しかできないのであれば、触るのをやめましょうと私なら言います。親に精神的なゆとりがあるときは、子どもがピリピリしていようが、何をしていようが、どうにかかかわることができる。しかし、親に余裕がないときは、子どもがピリピリしていると、よけいにピリピリしてしまうことが多い。だから、親に精神的なゆとりがないときは無理して触らなくてもいいんじゃないかな。無理をすると悪循環を増長させることになりかねないし、無神経に子どもの世界に踏み込んでしまうくらいなら、そっとしておいたほうがいいと思います。
 ここで私から海野さんに質問したいのですが、そんなときでも親にベタベタ寄ってくる子の場合、どう対応したらいいのでしょうか。
海野  そういうケースはよくありますよね。たとえば、お母さんが何か話しかけたら、子どもが「うるせー、クソババア」と言い、それに対してお母さんが「いいかげんにしなさい!」と言い返してピリピリした雰囲気になったにもかかわらず、ものの5分もしないうちに、お母さんに「あのさあ、〇〇〇を買いに行きたいから1000円出してくれないかなあ」とすり寄ってきたり、もっとストレートにベタベタしてくる場合もあります。
 お母さんとしては「どっちかにしてよ!」という感じで腹が立つと思いますが、そのときのお母さんの精神状態、気持ちの余裕のあるなしで受けとめ方も違ってくるはずです。蹴飛ばしたくなったときは、そうせざるを得ないだろうし、あとで悪かったと思ったら「ごめんね」と謝る。そんなふうにして、お母さんだって必ずしも立派な母親じゃないよというあたりで対応するしかないかなと思います。

テーマ②:受容と甘やかしの境目はどこにあるのか

     

小栗 次のテーマ「受容と甘やかしの境目はどこにあるのか」に関するご質問を読み上げます。このご質問について、まず海野先生にお話を伺いたいと思います。
 『見守ること』が『甘やかし』になることはないのでしょうか。見守ることと甘やかすことの境目は?
海野  不登校状態になった子どもは、自分を表現しなくなることが多いのではないかと思います。自分の言いたいことを話しても相手にわかってもらえない、受けとめてもらえないという体験を重ねているうちに、自分の気持ちなんか言ってもしょうがないと思うようになるのでしょう。自分の言いたいことは聞いてもらえないのが当たり前といった体験が重なると、いま自分は何を望んでいるのか、どんなことを感じているのかもわからない、といったことが起こりがちです。
 不登校になった当初の混乱期を経て、しだいに親が怒ったり、注意することが少なくなり、子どもを受け入れざるを得なくなってくると、子どもは「もしかしたら自分のことを表に出してもいいのかな」と思うようになり、いままで心のなかにためこんできたものを吐き出してくることがあります。やがて、いままで親が聞いたこともないような要求を突きつけてくることもあります。
 最初はアイスやゲームを買ってくれと言う程度だったのが、だんだんエスカレートしてきて、高価なもの、手に入れにくいものなど無理な要求をしてくる場合もあります。カウンセラーに相談すると「親御さんに無理でないのなら応じてあげたらいかがですか」とアドバイスされることが多いかと思いますが、親としては、こんな要求にすべて応じていたら、この子はわがままの極地になってしまうのではないか。それはまさに甘やかしじゃないかと思うことがあるはずです。

「甘やかし」とは何か

     

海野  では、「甘やかし」とは何か。端的にいうと、「子どもの要求を受け入れる際に"交換条件"をつけること」です。これをやると甘やかしになります。たとえば、「次の算数のテストで100点を取ったら、欲しがってたゲームを買ってあげるよ」というのは、甘やかしそのものです。なぜなら、「ゲームが欲しい」という本人の気持ちをくんで買ってあげるのではなく、「算数のテストで100点を取ったら」という親の要求を聞き入れたら子どもの要求をくんでやるという"交換条件"を子どもに突きつけているからです。これは決して受容ではありません。
 大切なのは、子どもの気持ちを受け入れることを通して、子どもの要求に応えてあげること。その要求レベルはある程度まで上がっていきますが、無限にエスカレートするわけではなく、「これで自分は十分に満足できた」と本人が感じられた段階で、子どもは安定していきます。
 子どもが無理な要求をしてきたときに、親としては納得できないし、現実的に対応できない(高くて買えないなど)場合もあるでしょう。そんなときは無理をせず、要求された時点で「できない」「買えない」と明言してください。そこで無理をすると、またかけひきが起こったりしますから、基本的にはかけひきをせず交換条件を与えず、買えるものは買う、買えないものは買わない。要するに、できないことはできないと子どもとやりとりをすることが重要な部分かと思います。

「ここまでは許容だけど、これ以上はダメ」という線引きが必要

     

今村  「受け入れる」という言葉を出したときに、不登校になった子どもの何を受け入れるのかなと考えてしまいます。親御さんもよく「受容」という言葉を口にしますが、それは、子どもの要求をのむというよりは、こちらが期待していた状態ではいられない現在の状態、つまり、学校に行ったほうがいいだろうし、行かなければいけないのだろうけど、いまは行けない状態にあることを、また、そうせざるを得ない状態であることを受け入れるのだろうと思います。
 最初は無理やり首根っこをつかまえて引っぱっていくか、家から押し出そうかとも考えたりしますが、やがて「とりあえず、この子はこういう状態でいるしかないのかな」と思ったときに、しばらく本人に任せて様子を見守ろうかとなります。そして、ここで「見守る」という言葉が出てくるわけです。当たり前のようですが、見守るとは、子どもを見てないとダメなんです。ちゃんと見ていることが必要になってきます。つまり、好き勝手にさせるとか、放任状態にして見ていないというのとは違うわけです。
 本人に任せるといっても、自ずと「ここまでは許容だけど、これ以上はダメ」という線引きが必要だと思います。いま学校に行けなくて本人もラクな状態ではないし、少しでも好きなこと、やりたいことがあったらやらせたほうがいいのかな、嫌なことはやらせないほうがいいのかな、なんて言っていると、好きなことだけやって、嫌なことはしなくなってしまいます。
 基本的には本人に任せるけど、家族の一員として守るべきルールがあるはずです。だから、なんでもかんでもやらないで済むのではなく、本人なりに学校に行くこと、勉強すること以外で、自分のことは自分でするとか。たとえば、不登校になる前は食べたあとの食器を流しに持って行ったのに、不登校になったら持って行かなくていいということはないということです。不登校であろうがなかろうが、家のなかのルールは守るという線引きが必要です。逆に言えば、親が、なんでもかんでもやってあげるとか、やらせてあげると考えてしまうと、そこには甘やかしという落とし穴が待っているよ、ということではないかと思います。
小栗  親の立場からすると、子どもにどうルールを守らせるかは、なかなか難しい問題のように思います。気持ちが不安定になっている場合は親の話を聞いてくれないことも多く、そうなると、「ここまではOKだけど、ここからはダメ」というルールも守ってくれない。そういう子どもにどう対応したらいいのか。そのあたりについて、さらに掘り下げていただけないでしょうか。
今村  見守るということは、ある程度本人に任せている状態ですが、これはかかわらないこととは違います。では、どのようなかかわり方をすればいいかというと、いちばん大事なのは、親子間のコミュニケーションをとること。家庭内のルールの線引きをどうするかについても、親が一方的に決めるのではなく、子どもと話し合うことが重要です。まずは家庭内のあいさつから始まって、コミュニケーションがとれる状況をいかに維持するかというところに解決の糸口があるような気がします。親子がともに納得できるかたちで「ここまで」という限度について共通認識ができあがるのがいいでしょう。
小栗  海野先生も今村先生も表現の仕方は違っていましたが、受容、見守るということについて、無制限に本人に任せるのではなく、家庭内の一定のルールを示しながら見守ることの大切さを強調されていたかと思います。みなさまのご家庭の状況に照らし合わせて、参考にしていただければと思います。
※この続きは、「第二部」 で読むことができます。

ページの先頭へ