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登進研バックアップセミナー78・講演内容

 

さよなら不登校partⅡ~支えてくれた人がいたから、今がある


*2012年6月17日開催の登進研バックアップセミナー82で行われた「不登校体験者と直接話せる、質問できるセミナー『さよなら不登校partⅡ〜支えてくれた人がいたから、今がある』」の内容をまとめました。
*「不登校体験者と直接話せる、質問できるセミナー」では、参加者の方々が10〜20人のグループに分かれて一人のゲスト(体験者)を囲み、自由にお話ができるようにしました。1グループに1人のカウンセラーが世話役として加わり、お話の整理をしています。以下の抄録で「Q」とあるのは、参加者の方々から体験者に向けての質問です。
*ゲストのお名前は仮名、年齢等はセミナー開催時のものです。

 

ゲスト

小川 哲哉(社会人、25歳)

世話役

池亀良一(代々木カウンセリングセンター所長)

 

小川哲哉さんのプロフィール

●不登校の期間:中1の5月から中3の終わりまで。
●不登校のきっかけ:中1の最初の中間試験のプレッシャーが大きかった。他人と学力を比べられ、数字でランキングされるのは小学校では経験しなかったことであり、親にも期待されていた。中間試験前の勉強が嫌で嫌で、ノイローゼぎみになったことがきっかけになった。
●不登校になった当初の気持ち:とにかく学校に行きたくないという気持ちが強かった。まだ13歳で幼かったから、どうして行きたくないのかについて深く考えることはなかった。
●そのときの親の対応:家族では、母だけが誠実に受けとめてくれ、「学校に行け」「〇〇しなさい」とは一切言わなかった。父はいろいろとうるさかったが、母の対応に救われたし、ありがたかった。何も言われなかったからこそ、普通に生活ができた。小児病院に週1ペースで母親と一緒に通い、カウンセリングを受けていたが、カウンセラーをあまり信用していなかったので、ただ外出するイメージだった。
●不登校中の生活:生活リズムはそれほど乱れていなかった。朝、普通に起きて、食事も家族と一緒にとり、夜10〜11時頃には寝る。起きている時間のほとんどはゲームをしていた。中3のときは、教育センターにある適応指導教室に通って勉強まがいのことをやっていた。密につき合える友人は少なくなったが、ときどき学校のプリントを届けてくれる幼友だちは学校に行っていないことを特別視しないで普通につき合ってくれたので、救われた面がある。

「おまえの人生は終わりだ」と言われたショック

     

Q

 中3のときに、市の教育センターにある適応指導教室に通っていたそうですが、そこに通うようになったきっかけはなんですか?

小川

 不登校中、母と一緒に小児病院に週1回通院し、心療内科でカウンセリングを受けていたのですが、そこのカウンセラーに紹介されたのがきっかけでした。
 なぜ適応指導教室に行こうかと思ったかというと、毎日ゲームとかやっていても所詮はヒマだったし、自宅は東京のはずれの寂しい山奥にあります。それに比べ、適応指導教室は大きな駅の近くで賑やかなところにあったので、交通費も出してもらえるし、都心に出るチャンスかな、と。ですから、勉強に行くというよりも、街まで遊びに出かける名目ができたという感じでした。
 勉強といっても、自分でプリントなんかを持っていって、わからないところを教えてもらうという自主的なものでしたし、朝の9時頃に行って、昼すぎには帰ってくるパターンでしたから。

 

Q

 うちの子も、週2回、教育センターのカウンセリングに通えるようになり、この調子で適応指導教室に行けるようになるまで静かに見守ってあげましょうと言われています。ただ、動き出す気配はまったくないし、勉強も全然していないので、親としては焦っているのですが、どう思われますか?

小川

 私も同じ立場なら、まったく勉強はしないで、ゲームばかりやっているような気がします。中2の頃は、まさにそんな感じでした。母からも、勉強しなさいというプレッシャーは一切ありませんでした。
 ただ、中3になると中学校最後の年だという意識が出てくるので、自分自身でなんとなく高校をイメージしたプレッシャーを感じるようになってきました。だから、「適応指導教室に行ってみないか」という提案に簡単に乗ったのかもしれません。

池亀

 小川くんの場合は、そろそろ動き出さなきゃと思いはじめた頃に、いいタイミングでカウンセラーから提案が出されたような気がします。
 このへんはさじ加減が難しいところなんですが、あまりプレッシャーをかけすぎると、親御さんのほうが先に動いてしまうことがあります。そういうフライングのような動きに子どもたちは敏感に反応し、「親の思うようにさせられるんじゃないか」と抵抗感を示すことも少なくありません。小川くんの場合はどうでしたか?

小川

 そのとおりだと思います。私の場合、母からはプレッシャーになることはあまり言われなかったのですが、父からは細々としたことを言われて、それがものすごくプレッシャーになっていました。それを平然と受けとめるほど強い自分は確立されていなかったので、言われれば言われるほど自分がつぶれてしまう感じでした。
 その流れで、実は一度だけ父からモノで釣られたことがあります。「1週間、学校に行ったら欲しいゲームソフトを買ってやる」と言われ、実際、1週間だけ学校に行きました。約束どおりソフトは買ってもらったので、そのあとは行きませんでしたけど(笑)。

 

Q

 小川さんは冷静かつ客観的に物事をとらえて、その場その場を淡々とやりすごしてきたように見えるのですが、親子関係で修羅場のような出来事はなかったのですか?

小川

 いちばんの修羅場は中1のときに、布団をかぶって「行きたくない」と言ったら、父から「おまえの人生は終わりだ」と言われたことです。あれはショックでした。

 

Q

 そういうときに何も言い返さないとストレスがたまると思うんですが、ストレス発散で暴れたりしなかったんですか?

小川

 中1の頃は、ストレスのはけ口自体よくわからなかったこともあると思いますが、モノに当たるということはありませんでした。母が何も言わなくなってからは、一人で遠出をしたりして、自分の中にためこんだものを消化していたこともあります。

 

夜中に泣きながら話し合う両親を見て…

     

Q

 ご両親、とくにお父さんから責められてつらかったと言っておられましたが、心を閉ざした結果、ご両親と心の接点を失ってしまった時期はありますか?

小川

 父と話しにくい雰囲気になっていたことはありますが、母は、私が学校に行かなくてもまったく普段どおりに接してくれて、ときには料理も教えてもらったりして、うまくコミュニケーションがとれていたので、家族との間に壁をつくったことはありません。
 両親も、私にどう接したらいいのかわからない時期があったのだと思います。のちに両親に聞いたところ、精神的にどん底のような状態だったそうですが、それを私に見せないでいてくれたことが、私としては救われました。
 うるさかったのは父だけで、いろいろひどいことも言われましたが、時間が経つにつれて聞き流す術を身につけたように思います。聞き流すことなく、まともに受けとめていたら、 自分がつぶれていたかもしれません。

 

Q

 担任の先生や相談室の先生とコンタクトはとらなかったのですか?

小川

 中1のときの担任の先生は心配して、たまに自宅まで来てくれたりしました。私も訪問をむげに断ることはなく、軽くあいさつをして、「まだ、ちょっと登校するのはつらいです」と伝えたりして、担任とのコミュニケーションはゼロではありませんでした。
 中2の担任はほとんど家庭訪問をしてくれませんでしたが、中3の担任は私が所属していたテニス部の顧問だったのでよく話すようになり、訪問してくれてありがたいと感じるようになりました。どちらかというと、中1、中2の頃は家庭訪問されても反発するか無視することが多かったけれど、中3になって少し状況が変わったかなと思います。

 

Q

 不登校中、学校の行事などには顔を出すこともあったそうですが、その際、友だちやクラスメートと顔を合わせることに抵抗はありませんでしたか?

小川

 ほかのクラスメートが必死に学校で勉強しているのに、私だけだらしのない生活をしているわけですから、楽しい行事のときだけ出席することに反発されたことはあります。なかには、「おまえ、なんでこういうときだけ出てくんだよ」と言ってくる人もいましたが、馬耳東風ではないけれど、そうした声は聞き流すようにして、仲のよい友だち2〜3人とふれあうようにしていました。
 スキー教室のときに、担任の先生に配慮してもらって仲の良いクラスメートと同じ部屋にしてもらったこともあります。ほかのクラスメートの視線も気になりましたが、それよりも友だちと一緒に時間を過ごしたいという気持ちが強かったのかなと思います。

 

Q

 「このままではいけない」と思ったのはいつ頃ですか? また、なぜ動き出せるようになったのか教えてください。

小川

 このままではいけないと思ったのは中3のときです。ある夜、トイレに起きたら居間に明かりがついていたので行ってみると、両親と祖母の3人が私のことで相談をしていたんです。両親は泣いていました。それを見て、「ああ、いろいろ迷惑をかけてきたんだな」「このままじゃいけないんだな」と痛切に感じて……。それが動き出そうと思いはじめたきっかけというか、大きなターニングポイントだったと思います。

 

Q

 その頃はご家族からの登校刺激はなくなっていたんですか??

小川

 その“家族会議”を見た直後くらいに、母から不登校の生徒が進学しやすい学校の情報を教えてもらったりしたので、あの家族会議はグッドタイミングだったのかなと思ったりしています。だた、自分のなかでも「そろそろなんとかしないといけない」という思いは起こっていたので、あの会議が引き金にはなりましたが、いずれは別の要因で動き出すことになったのかもしれません。

 

背中を押してくれた母という味方

     

Q

 子どもにあまりプレッシャーや登校刺激を与えてはいけないと思っていますが、その一方で、引きすぎた対応も不登校を長引かせるのではないかと心配してしまいます。その点についてどう思われますか?

小川

 たとえば、父と一緒に釣りに行ったりすると、不登校中でも少しテンションが上がったりします。そんなときは、「学校、どうするんだ?」という話をされてもあまり落ち込まずに聞けるし、「やっぱり心配してくれてるんだな」と受けとめることができるような気がします。ですから、楽しい時間を過ごしているときにサラッと話しかけるのがいいのかなと思います。

池亀

 引きすぎて、あるいは待ちすぎて不登校を長引かせるのではないかという不安は、親御さんに共通した悩みだろうと思います。
 ただ、私の経験では、待ちすぎて不登校を長引かせてしまったというケースはありません。それよりもプレッシャーをかけすぎて長引かせてしまうケースのほうが多いんです。本人に動く気配がまったくないのに、「どうするの? どうするの?」とプレッシャーをかけすぎて親の話に耳を貸さなくなり、会話が成立しなくなることも少なくありません。
 いつ背中を押してあげるかというタイミングをつかむには、常に子どもの様子をよく観察して、小さな変化をキャッチできる心の余裕が必要になります。親が焦って勇み足的に刺激をしてしまったり、進路情報を与えるなどのプレッシャーをかけることによって、状況を悪化させることだけは避けたいですね。

 

Q

 次のステップに進むきっかけになったことはありましたか?

小川

 いざ動き出そうとしても、中学校3年間は不登校だったわけですから、簡単に行きたい高校を受験できるほど世の中は甘くありません。どうしようかなと思っていたときに、同じ中学校で不登校になっていた女の子から、東京国際学園高等部というサポート校に入学するという話を聞きました。
 そこで、私も母と一緒に学校見学と学校説明会に行ってみたところ、第一印象がとてもよかったこともあり、これ以上、迷っている時間的な余裕もないだろうと思って、即座にそのサポート校に入学しようと決めました。
 入学後は3年間、皆勤賞で頑張りました。中学時代の3年間と比べると雲泥の差で、アップダウンの激しい人生だったんです(笑)。

 

 不登校のきっかけは、テストでよい成績をとらないといけないというプレッシャーが大きかったそうですし、不登校中もお父さんからのプレッシャーがあったわけですよね。そうした状況のなかでサポート校を紹介されて、じゃあ見学に行ってみようと思ったきっかけはなんですか? うちの息子に同じようにサポート校の話をしても、たぶんその段階でたじろいでしまうだろうと思うのですが…。

小川

 私も不登校の初期の頃は頭痛や腹痛に悩まされ、布団から出られない生活が2カ月くらい続きました。その頃は、父親のいろいろなプレッシャーを受け流すことなどできるはずもなく、母も一緒になって「学校に行かないの?」という対応をしていました。
 ところが、あるときから母は何も言わなくなり、私が2階から下りてくると、「ご飯を食べなさい」と言ってくれるようになったのです。それ以降、心の重荷がなくなり、頭痛も腹痛もなくなってきました。
 それでも父はあれこれ言ってくるわけですが、母が「お父さんはいろいろ言ってくるけど、聞き流していればいいから」とアドバイスしてくれて、それからは父の小言も受け流せるようになっていきました。母という味方ができたことが大きかったと思います。

 

中学校で抜け落ちた部分をフォローしてくれる授業

     

Q

 中学校にほとんど行っていない状況でサポート校に入学されたわけですが、勉強の遅れはどのようにして取り戻したのですか?

小川

 サポート校は、中学校時代に不登校だった生徒が多く入学してくることもあって、たとえば私の行ったサポート校では、入学すると基本的に中学校の学習内容から教えてくれます。クラス編成も勉強の進み具合によって習熟度別になっていて、基礎ができていない生徒は基礎をしっかり学習してからレベルアップを図り、最初から大学受験を目指す生徒は入学直後からレベルの高い授業を受けるシステムになっています。そのため、中学校時代の勉強の遅れについては、それほど苦になりませんでした。
 授業以外に塾に通っている友だちもいましたが、私の場合は塾に行く時間がなかったので、学校で出される課題を完璧に理解するよう心がけていました。ですので、学力の遅れについては、そんなに気にしなくても大丈夫だと思います。

 

Q

 サポート校に入学してから、行きたくないと思ったことはありませんか?

小川

 例の“家族会議”のインパクトが強すぎて、そのことに背中を押されたのか、高校3年間は行きたくないとは思いませんでした。また、学校に行きたくなるような先生がいたり、楽しい行事がたくさんあったり、とても居心地がよかったものですから、逆に学校に行けない日曜日がゆううつだったりしました。それは学校のお陰だと思います。

 

Q

 お母さんと一緒にカウンセリングに通っていても、カウンセラーをあまり信用していなかったそうですが、それはなぜですか?

小川

 カウンセリングには月1回のペースで通っていたのですが、「それまで1〜2回しか会っていない人間が、勝手に人の心の中に入ってくるんじゃねーよ」「何がわかるっていうんだよ」という思いばかりが強くて、信用することができませんでした。最初からそんな感じだったので、あまり聞く耳をもたず、質問にも適当に答えているだけでした。
 私にとってカウンセリングに行くことは体のよい外出の機会だったので、ゲームソフトを買ったり、上野の博物館に行ったりという、カウンセリングに付随する部分が楽しみでした。ただ、母にはカウンセリングの効果はあったのではないかと思います。母が不登校を誠実に受けとめてくれたのは、カウンセラーの先生のお陰だったかもしれません。

 

Q

 平日に学校に行かず、外出することに罪悪感は感じませんでしたか? お母さんも、それについて反対はしなかったのですか?

小川

 当初、両親から責められた頃は外出しようなんて思いませんでしたが、しだいに母が何も言わなくなり、平日も普通にゲームができるようになると、外出してもよいのではないかと思うようになって、後ろめたさは感じませんでした。むしろ、電車に乗って出かけることが楽しかったんです。
 私が平気な顔で外出することを、もしかしたら母は気にしていたのかもしれませんが、それを私に言ってくることはありませんでした。表面的には外出することに肯定的でしたし、「行っておいで」とこづかいを渡してくれたりしたことが、罪悪感を感じなかった要因だったのかもしれません。

 

やっと友だちと同じスタートラインに立てた

     

Q

 お話を伺っていると、小川さんは確信的に不登校を選ばれたような感じがします。たまたま学校に行かないという選択をしただけで、ステップごとに自分できちんと考えて、納得したうえで進んできたというか…。そういう小川さんのパーソナリティは、どのようにして形成されたのでしょうか?

小川

 不登校になったのは中1の5月ですが、それまでの人とのかかわりは、小学校からの友人や両親、親戚などに限定されると思います。そのなかで最も密接にかかわってきたのは両親です。父からはムチ打たれ、母からは甘やかされ、祖母にはさらに甘やかされといった生活でしたが、小学校の頃に壁にぶつかった経験はなく、伸び伸びと育てられたのかなと思います。

 

Q

 不登校経験を肯定的にとらえている感じがして、それが大事なのかなと思いますが、そのベースになっているものはなんでしょう?

小川

 不登校経験を肯定的にとらえられるようになったのは、つい最近のことです。高校時代は、かつて不登校だったという引け目のような気持ちが強かったし、専門学校に通っていた頃も、友だちにそのことは言えませんでした。
 不登校になって中学校のときはスタートが遅れてしまったわけですが、社会人になることで友だちと同じスタートラインに立てたのかなという気持ちになりました。
 そういう気持ちが出てくるにしたがって、「不登校をしていたけど、回り道していい経験になったな」と思えるようになった気がします。
 結果論になってしまうかもしれませんが、最終的に立ち直ることができれば、不登校経験についても肯定的にとらえられるようになるのかもしれません。あのとき不登校になっていなければ、別の道を選んでいて、もっとひどい結末になっていたかもしれない……。そう考えると、今なんとか社会人として生活できているわけですから、これでよかったんだと思ったりします。

 

Q

 不登校中も比較的規則正しい生活をなさっていたようですが、うちの息子も規則的な生活をしていて、洗濯物を干して取り込む仕事もやってくれます。自分の部屋もきれいにしていて、学校に行っている頃より模範的な生活ぶりなんですが、それは家族への負い目からやっているのか自分でしたいからやっているのか、小川さんはどう思いますか?

小川

 おそらく息子さんの性格によるものではないかと思います。私も母から料理を習ったりしましたが、部屋はきれいではなかったし、洗濯物を干したり取り込んだりもやっていません。
 私にとって料理は趣味のようなもので、おまけに家族の手伝いにもなるし、ということでやっていただけで、義務感や負い目でやっていたわけではありません。気持ち的には、手伝いをしたいが10%、趣味の料理をやりたいが90%という感じでした。

池亀

 不登校の子どもたちの多くはネットやゲームにのめりこんで昼夜逆転になることから考えると、ご質問者の息子さんも小川くんも珍しいケースと言えるかもしれません。規則正しい生活が苦ではなかったんでしょうね。

小川

 苦ではなかったというより、夜ずっと起きているほうがつらくて(笑)。体質的な問題もあるかもしれませんが。

 

夢を追いかけ、専門学校でも皆勤賞

     

Q

 よくカウンセラーの先生から、「子どもを信頼してあげましょう」「認めてあげましょう」とアドバイスされるんですが、子どもの立場からすると、親に認められた、親が受け入れてくれたと感じるのは、具体的にどんな場面や瞬間なんでしょうか?

小川

 たとえば、私が夕飯を作ったとき、家族から「美味しい」と言われれば嬉しいですよね。そうやってまわりから認められることで自分の自信につながるものがあると、ステップアップのきっかけになるような気がします。自信になるものがないと動き出そうにも動き出せないと思うので、親御さんから積極的にコミュニケーションをとって、ほめてあげたり励ましてあげたりして、能力を伸ばしてあげるといいかなと思います。

池亀

 お子さんの将来を心配されている方もいらっしゃると思いますので、サポート校を卒業してからの進路の話をちょっと聞かせてください。専門学校に進むか大学に進むか、迷ったそうですが?

小川

 高校のときは文系人間で、数学は嫌い。小説が大好きで現代文を中心に勉強していたので、大学入試でも現代文や英語で点数をとっていけばいいかなと思っていました。
 ところがゲームを通して自動車に興味が出てきて、しだいに現物の自動車に興味がわいてきたのです。決定的だったのは、当時、新宿駅西口ロータリーの一角にあるスバルのショウルームで、インプレッサという車種の最高級モデルを見たことです。とにかく「カッコイイな」と思って、それが自動車に関連する仕事に興味を抱いた発端だったかもしれません。
 その頃から大学に行ってもつまらないんじゃないかと思いはじめて、専門学校という選択肢が出てきました。それに対して父は、学歴第一主義のような価値観があったんだと思いますが、「大学に行かないとロクな給料をもらえないぞ」とか「出世もできないぞ」とか言ってきましたが、そんなことはどうでもいいと思っていました。
 父には「大学に行って自動車メーカーに入ればいいじゃないか」と言われましたが、いろいろ調べてみると、文系の大学から自動車メーカーに入るのはなかなか難しいことがわかったのです。そこで、自分のやりたいことを貫くために、父の反対を押し切って専門学校に進学しました。結果を出すまでハードルは高かったのですが、最終的には父も納得してくれました。

池亀

 小川くんは専門学校でも皆勤賞だったそうですが、それは自動車メーカーに入りたいという夢があったからですか?

小川

 自動車整備の専門学校に入ったんですが、手先があまり器用じゃなくて…。それでも自動車メーカーに就職して、設計や実験など車の開発の仕事に就きたいと思っていたので、そのためにはどうしたらいいか専門学校の先生に相談しました。すると、どのメーカーも優秀な大学から人材を募集したいと思っているのではないかとのことでした。
 そのなかで、専門学校には技術的なエキスパート枠として1〜2名の求人があることもわかりました。ただし、中途半端な人間を送り込むと企業側の信頼を損なって求人枠を失うことになるので、学内選抜はかなり厳しく、成績も上位10%に入っていないと問題にならないとも言われました。これはダラダラやっていたら希望どおりの就職はできないなと思って勉強に集中し、とくに理系分野は苦手だったので人一倍努力しました。その流れで結果的に皆勤賞になったというわけです。

 

Q

 今の会社に入るとき、不登校だったことは話しましたか?

小川

 それについてはずっと迷っていて、逆に不登校だったことを武器にしようかとか、でも、カミングアウトすることで悪い印象を与えるんじゃないかとか、葛藤しました。
 実は先週、社内の昇格試験で面接がありました。最初は言わないでおこうと思ったのですが、「壁にぶつかったことは?」という質問をされて、思わずポロッと言ってしまいました。結果はまだ出ていないので、不登校だったことを言ってよかったのかはわかりませんが、それを話すことで状況がプラスになるのであれば話したほうがいいかもしれません。

 

目標に向かって動き出す力が、新しい自分に変わるチャンスをくれる

     

Q

 このような場で初対面の人がたくさんいるなかで不登校体験を話せるということは、不登校をいい体験としてポジティブにとらえ、克服できたということでしょうか?

小川

 中学校時代に不登校になってサポート校に進み、そこでいろいろなことを考え、専門学校に進学し、現在、自動車メーカーで仕事をしている自分がいることを考えると、不登校という経験を起点にした人生の流れに乗っていることに満足しています。
 ただ、本当に不登校のことを前向きにとらえられるようになるには時間がかかると思います。今まで不登校をしたことにデメリットを感じたことはなかったのですが、先日、こんなことがありましたので伝えておきたいと思います。
 このセミナーに出るにあたって、一応、会社の上司に許可を取っておいたほうがいいかなと思って話をしたんですが、そのとき、上司が大声で「なんだ、おまえは不登校だったのかよ」と言われたんです。それまでは誰にどんなことを言われても聞き流せると思っていたのですが、そのときばかりはさすがに動揺し、不愉快なことを言われると、やはりカチンとくる部分が自分にはまだ残っていたんだと、あらためて実感しました。
 そういう意味では、自分のなかにはまだ不登校をマイナスの経験として感じている部分があるんだと思いました。

 

Q

 自動車のことが好きになり、それに関連した仕事に就きたいという目標が大きなモチベーションになったように感じますが、不登校のときに何かひとつでも夢や目標があれば、不登校から脱却する力になるものでしょうか?

小川

 不登校になると、目標は何も見えなくなります。私の場合はそれよりも、ほかの人と同じスタートラインに戻りたいというのが当面の目標だったので、それに向かって高校3年間、勉強できたことは大きかったと思います。
 私が入学したサポート校は、私のように不登校を経験した生徒が多いのですが、卒業後の進路をみると、大学に行って普通のサラリーマンになる人だけではなく、将来的な仕事をイメージして資格を取るために、あるいは自分の好きな道を極めるために専門学校に進学し、個性的な職業に就いている人も少なくありません。目標は人それぞれだと思いますが、それに向かって動き出そうとする力は、不登校を背負ってきた自分から新しい自分に変わるチャンスを与えてくれると思います。

池亀

 そろそろ時間ですので、これで終わりにしたいと思います。みなさま、小川くんに拍手をお願いします。ありがとうございました。(拍手)

 

小川哲哉さんからのメッセージ 「不登校だった3年間に得たもの」

 不登校だった中学校3年間をふりかえって最初に思うのは、「もったいなかったな」という思いです。ただし、誤解がないように補足すると、あくまでもったいなかったという印象だけで、重要なのは「後悔」の念を抱いていない点です。
 なぜなら、不登校にともなって得た知識(ゲームや小説に関連するものなどいろいろ)や友人は、今ここにいる自分を構成するうえで欠かせない大切なパーツであり、その経験をバネにこれまで歩んできたという自負があるためです。
 なぜ、もったいなかったという思いに至ったかといえば、単純な話、もっと友人とコミュニケーションをとりたかった、と今さらながらに思うことがあるからです。
 私の不登校期間は中1の5月から中3の終わりまでですが、そんななかにあっても、私の一番の友人といえる人物は、不登校だった中学時代に得た友人です。不登校で学校に行かず、ふらふらしていた私とつき合ってくれた友人たちは、今でも私の大きな支えになっています。
 そんな親友と過ごせたであろう時間を無為にしてしまった点については、もったいなかったかな、とそういう思いでいます。
 とはいえ、学校に行っていたら友人でなくなっていたかも? という可能性は、ゼロではありません。そういった点でいえば、やはり私は不登校だった自分に、ある意味での感謝をしているのです。

 

 

 

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