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登進研バックアップセミナー77・講演内容

不登校―親としての価値観やルールをどう軌道修正するか


不登校―親としての価値観やルールをどう軌道修正するか
講師 岩佐壽夫(家庭ケースワーク研究所所長)

 東日本大震災後、私は宮城県名取市にボランティア活動に出向きました。
 そこでは、多くの被災者の方々が「長い年月をかけて働いて、やっと手に入れたわが家が一瞬にしてガレキになってしまった」と話されていました。しかしその一方で、「家は失いましたが、家族は残っています。あらためて家族は宝物だと思うようになりました」とも言っておられました。ただし、やがて時間がたつと、家族は残ったけれど、どのように立ち直っていけばいいのかという心の問題が顕在化してくるかもしれません。

 想像をはるかに超えた状況に、私たち外部の人間は、現地の方々をどうサポートしたらいいのかまったくわかりませんでした。ただ手を握り、涙を流しながら、「つらいでしょうね」と気持ちを分かち合うしかできませんでした。

 同じように親であるみなさんも、不登校のわが子に対して「つらいよね」「苦しいよね」「悔しいよね」と言葉をかけることしかできないのかもしれません。
 親は子どもの伴走者として連れ添うことはできても、どのように歩き出していくかは本人が乗り越えていかなければいけない問題だからです。したがって、親は後押しすることはできるけれど、ひっぱったり、進むべき方向を指図することはできないし、やってはいけないのです。


変わりつつある高校選びの基準

 いまや「高校全入時代」といっても過言ではありません。そうした状況のなかで高校は学力によってランクづけされ、そのランクで高校の価値を判断するような見方をされています。東京のようにさまざまなタイプの高校がある地域と、学校数の少ない地域ではかなり状況は違いますが、それでも高校が学力で区切られていることは同じです。

 しかし最近、徐々にではありますが、高校は学力を基準にして進学するところではなく、自分の学びのスタイルによって選択するところに変わってきているように思います。

 現在、高校を卒業してすぐに働く若者は非常に少なく、卒業後、専門学校や大学など次のステップに進学する比率が高くなっています。こうした傾向からも、高校は学力で選ぶのではなく、自分の学びのスタイル、将来の方向性に合わせて選ぶようにシフトしてきているという印象があります。このような大きな流れを念頭に置き、まずは不登校の子どもたちの進路について事例を通して考えてみたいと思います。

【事例1】小5から中3まで不登校だった女の子

 圭子さん(仮名)は、小学校5年生の2学期から不登校になり、まったく登校できないまま小学校を卒業しました。地元の中学校に進みましたが、やはり入学式に出席しただけで、その後3年間一日も学校の門をくぐることができませんでした。

 彼女の卒業に際して中学校では激しい議論が交わされましたが、校長の裁量で卒業できることになりました。そして、中学校の卒業認定を受けてから、圭子さんは短期間のうちに進路に向けて急激に動き出したのです。不登校の子どもたちは、「高校生になったら自分は変わるんだ」という思いをもつことが多いのです。

 従来は、そうした思いを抱いたとしても、それを実現することは状況的に難しかったのですが、最近では自分の好きなこと・得意なことを基準にして選べる学校が増えてきました。圭子さんも、以前から関心のあったアニメやマンガを学べる場として「サポート校」を進路先に選んだのです。

 サポート校は、ここ20年ほどで急激に増えてきた新しいシステムの教育機関です。通信制高校と連携することで、高校卒業資格も取得できます。
 学校というものは毎日休まず行かなければいけないと信じている方々にとっては、「これが学校?!」と思うほどカリキュラムが柔軟で、だからこそ圭子さんのように不登校だった子どもたちにも対応できるわけです。近年、サポート校をはじめとする新しいシステムの高校が次々と設置されるようになってきて、選択の幅もますます広がっています。

 圭子さんのようにある時期不登校になっても、その子の年齢や関心に合った学校や居場所を見つけられれば、再び学校や社会に戻っていくことができます。その学校や居場所は、親御さんにとっては満足のいくものではないかもしれませんが、その子なりにそこで生き生きと過ごせるようになる。そんなケースが、以前より圧倒的に増えてきました。

 こうした状況からみても、「学校に行く行かない」ということは、現在それほど大きな問題ではなくなってきており、社会全体の流れとしても、学校に行かないことが悪いことだとは考えなくなりつつあるのではないかと思います。

【事例2】「今が楽しければしければそれでいい」という高1の男の子

 次は、進一くん(仮名)の事例を紹介します。このケースにはカウンセラーとして非常に悩まされました。当時16歳の彼は、中学時代から不登校状態が続いていましたが、ある私立高校が受け入れてくれました。しかし、高校にもほとんど行けず、当然、進級もできず、高校1年のときに留年をして、1年生のまま2年目を迎えました。

 彼は、いわゆる「明るい不登校」といわれるケースで、表面的にはまったく悩んでいないように見えました。小学校4年生のときにお父さんを事故で亡くし、当時はお母さんとお姉さんの3人家族。お母さんが、2人の子どもを育てるために一生懸命頑張って働いていました。

 そんな家庭環境のなかで、彼は、「その日その時が楽しければそれでいい」「嫌なことはやらない」「先のことはわからないから考えないし、考えたくもない」という刹那的な生き方を選んでいるように見えました。
 中学の頃から遊び仲間とゲームセンターに通いつめ、夜更けまでスケボーをやったり、毎晩、仲間の家に泊まり込んではオンラインゲームを朝までやる。そんな生活をくり返していました。  口ぐせは、「いくら頑張ったって、どうせいつかは死ぬんでしょ?」。だから、「今が楽しければ、面白ければいいじゃない?」という言い方が出てくるのです。

 結局、彼は高校を中退し、20歳を過ぎた今も(親から見るかぎりでは)仕事をしていません。お母さんは、「もうこづかいや生活費をあげるのはやめました」「たぶんパチプロで生活しているのでは?」と言っていましたが、実はお母さんに内緒で弁当屋さんで働き、それなりの給与も得ていました。
 しかし、それ以外のところでは不登校時代とまったく同じようなことをやって暮らしています。オンラインゲームにはまり、「どうせ死ぬんでしょ?」という口ぐせも同じです。でも、本人はまったく深刻ではないのです。

 私は、お母さんと「こんな生き方ってありかねえ?」と話しながら、複雑な気持ちでした。彼の生き方は、お母さんにはとても満足できるものではないけれど、これもひとつの生き方なんだろうと思うことがあります。そして、大人側の価値観やルールを少し軌道修正しなければいけないのかなとも思います。

親のあるべき姿とは

 では、子どものもっとも身近な理解者であり、援助者である親としての役割とはなんだろう。親がすべきこと、逆にやってはいけないことは何か。ここからは、親のあるべき姿について考えてみたいと思います。

(1)欠点や短所を指摘されて子どもが伸びた例はひとつもない

多くの親は、わが子の欠点・短所を指摘し、そこを直せばもっといい子になるのに、と思いたがります。まして学校に行けない子どもとなれば、嫌でも欠点や短所が目につきます。

 しかし、欠点や短所を指摘されて子どもが伸びた例はひとつもありません。欠点を上手にオブラートに包んで的確に助言されることで、子どもが謙虚に反省するのは、信頼できる教師や親戚のおじさんなど、第三者が指摘してくれたときに限られます。

 しかも、親がわが子の欠点を指摘するのは、お説教をしているときが多いのです。それでは子どもが聞いてくれるわけがありません。それよりも、「いいねえ、さすがお母さんの子だね」とほめてあげたほうが子どもは伸びるのです。

(2)子どもに感謝を求めない

 ほとんどの親御さんは、子どもに「感謝」を求めているのではないでしょうか。要するに、「これだけあなたのことを思って、いろいろやってるんだから、その半分くらい誠意を示してくれてもいいんじゃないの?」という気持ちです。

 しかし、求められれば求められるほど、人間は感謝したくなくなるものです。親御さんから「どれだけあなたのことを大切に思っていることか」などと言われた子どもは、口では「はいはい」と従いながら、心のなかでは「誰が産んでくれと頼んだんだよ!」と思っているかもしれません。

 親から子に求めてはいけないことのひとつ、それが「感謝」だろうと思います。それよりも、「あなたという子どもが生まれてきて、お父さんとお母さんは幸せよ」というメッセージにとどめておいたほうがいいでしょう。

(3)親の年齢は子どもの年齢

 「親の年齢は子どもの年齢」は、私の大好きな言葉で、相談のときによく使います。
 「お母さんは、いまおいくつですか?」と質問し、「42歳です」と言われたら、「そうではなく、お母さんとしてはおいくつですか?」と再度、聞きます。それは、「お母さんと呼ばれてから、おいくつになりますか?」という意味です。

 親の年齢は、子どもの年齢でしかないと言われます。わが子が16歳だとしたら、お母さんもお父さんも16歳です。つまり、16年しか親をやっていないわけです。だから、失敗もあるだろうし、間違うことがあって当たり前。自分はまだまだ16歳、ベテランの親ではないんだという意識で、子どもとかかわっていくべきではないかと思います。

思春期の子どもの心理を理解する

(1)「子離れ」をいかに上手にやりとげるか

 昔は一生懸命に働く親の後ろ姿を見ていれば、子どもは必要な時期に自然と親から離れていくと考えられていました。それを「親離れ」と言います。
 しかし、最近はひとりっ子の家庭が増え、しかも子どもが20歳を迎えるときに親はまだ40歳代という状況も珍しくありません。そうなると、「親離れ」よりも「子離れ」をいかに上手にやり遂げるかが重要になってきます。

 不登校のご相談で親御さんにお会いすると、お母さんの過保護ぶりが目につくことが少なくありません。わが子が不登校になったのですから仕方のないことかもしれませんが、必要以上に先走って手を打とうとし、それが親の愛情だと信じているお母さんが多いように感じます。しかし、親の愛情は子どもの成長に合わせたものでないかぎり、愛情ではなくなってしまい、逆に子どもの歩みを止めてしまいます。

 5歳の子どもが傘を忘れたので、お母さんが傘を持って幼稚園まで迎えに行く。これは親の愛情です。しかし、中学生の子どもが忘れ物をしたからといって、お母さんが学校まで届けるのは間違いなく過保護です。忘れ物をしたのは自分の責任だから反省しなさい、それでいいわけです。

 心の奥では心配しながらも、どれだけ突き放せるか、黙って見ていられるか。それも、子どもの成長に合わせた親の愛情表現だと思います。どう親の愛情を表現するかは、子どもの状況によっても異なりますが、それぞれの家庭の状況に合わせて考えていくことが大切です。「これでいいのかな?」と絶えず揺れながら考えてください。

 これは、子どもを「どうしつけるか」ではなく、「どうつき合うか」という視点で考えるということです。それこそが子どもの成長を見守っていくということであり、口出ししたいことを、どれだけ黙って我慢するかということです。その意識改革は、「子離れ」と深く結びついていることだと思います。


(2)「反抗」は成長のあかし

 なぜ、子どもたちは思春期から青年期に向かう年齢になると反抗するのでしょうか。反抗に対して、親はどうしてもマイナスイメージでとらえがちで、「いけないこと」「扱いにくいこと」として見てしまいます。

 でも、この反抗を「自己主張」と考えてみたらどうでしょうか。生まれて初めて自分の言葉で自分の思いを、安心できる相手、決して自分を裏切らない相手に向かって主張できる年齢になってきた、と考えるとわかりやすいと思います。

 不登校の子どもたちのなかには、なかなか自己主張ができず、悩みや苦しみ、つらい思いを親にすら訴えず、胸のなかに抱え込んでいる子も少なくありません。そんな子が、「うるせー!」「ほっといてくれ!」と、自分のモヤモヤした思いを親に伝えられることはとても大切なことです。

 10代半ばで自己主張できることは、大変な成長と考えるべきでしょう。自己主張ができて、かつまわりの人たちの話もしっかり受けとめ、自分なりに咀嚼して、再度まわりの人たちとの関係にトラブルがないように、自分の考えを表現できるようになるまでには、もう少し時間がかかります。それができるためには、自己主張に謙虚さが結びつく必要があります。

 10代半ばの子どもたちの家庭内におけるコミュニケーションとしては、自己主張が80〜90%、謙虚さはせいぜい10〜20%といったところでしょうか。それが一般的というか、順調な成長のあかしなのです。


(3)「依存」と「自立」の間で揺れる心

 「依存」と「自立」という相反する気持ちが混在していて、自分でも整理のつかない心理状態のことを「両面価値」といいます。

 たとえば、何かをする前に親御さんが「もう大人なんだから細かいことは言わなくていいよね」と言うと、子どもが「当然だよ。いちいち指図しないで」と返してきたとします。でも、結果的にうまくいかなかったときに、子どもは「あのとき、どうして言ってくれなかったの?」と文句を言ったりすることがよくあります。

 「絶対」とか「間違いない」という言葉をよく使うのも、思春期の特徴です。自分の99回の失敗と親のたった1回の失敗がちょうどイコールであると考えるような時期でもあります。その矛盾について、自分では気づいていません。外ではそれなりに大人びた言い方や表現ができるのに、家に帰ってくるとだだっ子のようになってしまう。うまく心のバランスがとれない。自分で気持ちをコントロールできない。そんな状態が思春期なのです。

 思春期の子どもがこうした心理状態にあることを理解すると、親として少し冷静な対応ができるのではないでしょうか。とても複雑な心理状態にある年齢ですが、この時期の子どもたちにかかわることは、親としてはとても面白いはずです。

子育ての原点とは

 わが子の寝顔を見ることには、いろいろな意味があります。  3歳くらいなら、その寝顔は目に入れても痛くないほどかわいいし、もちろん起きているときもかわいい。しかし、10代半ばくらいになったわが子の顔がかわいいという方は、あまりいらっしゃらない(笑)。この年頃になると、子どもは親に対して上から目線で「うぜえ」とか「クソババア」とか言うようになりますから、確かにかわいくない。

 しかし、18歳の子どもでも、その寝顔には3歳の顔が残っています。みなさんは、10代半ばになったわが子の寝顔をしげしげと眺めたことがありますか。最近の親御さんは、そうした機会がないかもしれません。なぜなら、寝る部屋が別になっているし、親のほうが先に寝てしまうことが多いからです。

 そうなると「どうしてこんな子になってしまったのか」と思ったりする昼間の顔が目の前にチラチラするだけになってしまいます。たまには、子どもの寝顔を見てみませんか。子どもの寝顔のなかにこそ子育ての原点が残っています。「この子を産んで、この子を育てて、この子の子育てを通して、親子でよかったと思う瞬間があるはずです。

最後に、子どもが親を乗り越えたときのエピソードをご紹介します。
 ある高校生の男の子は、お母さんが毎日作ってくれるお弁当にいつも文句タラタラで、「また、昨日の残り物かよ」「お前は冷凍食品しかおかずにできないのかよ」とブツくさ言いながら、面倒くさそうにお弁当を持って学校に通っていました。
 高校3年の後半、今日でお弁当は最後という日のこと。お母さんが息子の持ち帰った空の弁当箱を開けると、「母さん、3年間ありがとう。体に気をつけろよ」とメモが入っていたそうです。

 これを読んだお母さんは、「これでやっと親の役割は終わった」と感じたそうです。そして、子が親から離れていく寂しさと、わが子からこんなかたちで感謝の気持ちを返されて報われたという思いが入り交じり、複雑な気持ちになったといいます。
 この出来事は、ずっと子どもに感謝の気持ちを要求せず、親の役割としてお弁当を作り続けてきたお母さんに対して、子どもが贈った勲章のような気がしました。

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