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【トークライブ】不登校―あの頃、母はなにを考えていたのだろう

2019年9月29日に開催された登進研バックアップセミナー105の第1部の内容をまとめました。

ゲスト:藤谷紀子(不登校体験者、公立教育相談室教育相談員/仮名)
講 師:海野千細(八王子市教育委員会教育支援課心理相談員)

※ゲスト、講師の肩書きはセミナー開催時のものです。

転校をきっかけに小5から不登校に

海野  本日のゲストである藤谷さんは、小中学校で不登校を経験し、その後、紆余曲折を経て、現在は公立教育相談室の相談員として活躍されています。最初に自己紹介を兼ねて、不登校になるまでの経緯や現在までの流れについてお話しいただきます。
藤谷  こんにちは、藤谷紀子と申します。現在29歳です。昨年結婚して夫婦2人で暮らしています。不登校当時は、両親と2人の妹の5人家族でした。

 小学校3年生のときに転校し、学校に対する違和感を抱えながらも4年生まではなんとか登校していましたが、5年生になって本格的に学校に行けなくなりました。中学入学後はしばらく登校できたのですが、夏休み明けから再び不登校になってしまいました。中2から適応指導教室に通いはじめ、その後、高校、大学に進学し、現在は公立の教育相談室で相談員として働いています。
海野  転校から不登校に至る経緯について、もう少し詳しく教えてください。
藤谷  前の小学校ではわりと活発で勉強も得意なほうだったので、転校先でも自分はちゃんとやれるという思いがありました。ところが、転校が小3の夏休み明けだったので、すでにクラス内の女子グループが出来上がっていたりして、なかなかなじめませんでした。小4になると、男子に追い回されたり、持ち物に悪口を書かれたりという、いじめも受けました。担任の先生からみんなの前で、「おまえもなにか恨まれるようなことをしたんじゃないのか?」と言われて傷ついたこともあります。

 ただ、それらは不登校の直接的な原因ではなかったように思います。振り返ると、小1、小2と続けて年の離れた2人の妹が生まれ、それまではひとりっ子で自分中心だった生活から急にいちばん上の姉になり、しっかりしなければと無理をするようになったことも不登校に関係しているのかなと思っています。小4まではなんとか通ったのですが、小5から電池が切れたようにパタッと行けなくなりました。

休みはじめた最初の頃はどんな感じ?

藤谷  最初の頃は、お腹が痛い、頭が痛いと言ってトイレにこもり、登校時間を遅らせたりしていましたが、両親も私自身も「学校は行くものだ」という意識が強かったので、「行かない」という選択肢は頭の中にありませんでした。父に抱きかかえられて、「行ってきなさい」と玄関から放り出されたこともあります。それまで「いい子」だった自分が学校に行けないなんてとてもショックだったし、そんなことはあってはならないことだという気持ちが強かったと思います。

 しだいに家にひきこもるようになり、担任の先生が学習プリントや同級生の励ましの寄せ書きなどを持ってきてくれても、それを見るだけで気分が悪くなる感じで…。生活は昼夜逆転になり、「牧場物語」というゲームをずーっとやり続けて、朝方に寝て、夕方起きたらまたゲームをする生活でした。
海野  今の藤谷さんのお話には、2つのポイントがあるような気がします。
 ひとつは「罪悪感」。学校に行けなくなったとき、親も子も悪いことをしているような罪悪感にさいなまれることがよくあります。昔に比べ変わってきたとはいえ、やはり「学校は行かなければならないもの」というのが一般常識のようになっているからです。そのうえ日本は「同調圧力」、つまり、みんなと同じであることを求める力がとても強い。だから、みんなと違うこと(学校に行けない)が起きたとき、自分はダメな人間だとか、親を悲しませる悪い子だとか、自分を責めることが多いのではないでしょうか。

 もうひとつは、「いい子」ということ。「いい子」とは、自分がしたいこと=「I want」よりも、しなければいけないこと=「I must」を優先して、そのことで認められるパターンを身につけていった子と考えるとわかりやすいかもしれません。

 藤谷さんの場合、2人の妹が生まれる前はひとりっ子で、親が自分に関心を向けてくれるのは当たり前という状態でした。ところが、7歳下と8歳下の妹が生まれて、お母さんは妹たちにかかりきりになる。こんなとき上の子はたいてい、どうすれば親の関心を取り戻せるだろうと考えます。それには2つのパターンがあって、ひとつは自分も赤ちゃんのようになって親の気を引こうとする、いわゆる「赤ちゃん返り(退行)」です。もうひとつは、いいお姉ちゃん、お兄ちゃんになって、親に認められようとする。

 おそらく藤谷さんの場合は、妹さんよりだいぶ年上ですから、赤ちゃん返りをするよりも、「いい子」になって認められようというパターンを身につけたのではないでしょうか。

中学校で「やり直そう!」と頑張りすぎて、また行けなくなる

海野  次に、藤谷さんの中学校時代の様子について教えてください。
藤谷  小学校でいろいろトラブルがあったので、同じ小学校の子が行く中学ではなく、指定校変更という手続きをして、学区外の中学に通えるようにしてもらいました。中学では小学校時代の「学校に行けない自分」は捨てて、以前のように元気で完璧な自分を取り戻し、やり直すんだという気持ちで入学しました。

 知らない子ばかりのなかで積極的にいろんな子に話しかけたり、勉強も頑張り、指導が厳しいと評判の吹奏楽部にも入部したりと、あえて自分を追い込むような感じで中学校生活をスタートさせました。今度こそ「普通ルート」に戻らなければとすごく気負っていて、かなり無理を続けていたので、その緊張感は長くは続かず、結局1学期が終わる頃には息切れを起こして再び不登校になりました。振り返れば、面白いくらいに小学校で不登校になったときと同じようなプロセスをたどっていると思います。
海野  指導が厳しいと評判の吹奏楽部に入ったそうですが、「いい子」といわれるようなお子さんは、まわりが自分にこうしてほしいと期待していることを敏感に察知して、それを実現することで認められようとします。その結果、まわりの人から「よくやったね。あなたはしっかりしていて頼りになるわ」と言われたりするなかで、実際に求められている以上のことをやろうとする気持ちがエスカレートしやすいのです。そういう傾向を「過剰適応」と呼びますが、藤谷さんの場合、わざわざ学区外の中学校に変更してもらったこともあり、今度こそかつての元気で勉強もできて、いつもみんなの中心にいる、そういう光り輝くような子にならなければ、という思いが強かったのかなという気がします。

お母さんとの関係は?

藤谷  母はもともと心配性で、真面目で完璧主義だったので、私の不登校についてはかなりショックを受けていたと思います。私のほうは、不登校になってから、母と楽しく会話をすることができなくなりました。学校に行ってないのに、にこにこ楽しそうにしているのは悪いんじゃないか、神妙に辛そうにしてないといけないんじゃないかと考えてしまって…。あまり元気そうにしていると、「そんなに元気なら学校に行けるんじゃないの?」と言われてしまうかも、という不安もありました。

 母は私が休むようになってから、教育相談室に相談に行ったり、普通なら作らなくていいはずの昼食を毎日作ってくれたり、私のためにいろいろ動いてくれていたので申し訳ない気持ちでいっぱいでした。当時の私は、ささいなことでキレたり、暴れたり、叫んだり、ドアを壊したりしていたので、私が申し訳ないと思っているなんて、母は気づいていなかったかもしれませんが。

 外に出られるようになってからは、買い物係を任命され、スーパーなどに行くようになりました。それは、不登校の私でも家族の役に立ちたいとか、母に対する償いのような気持ちがあったのかなと思います。
海野  今、「償い」という言葉が出ましたが、自分が学校に行けないことで親に迷惑をかけている、心配をかけているという思いがある一方で、苛立ちやどこにもぶつけようのない思いもあって大暴れしたり、藤谷さんのなかでいろんなことがあったんだろうなと思います。

 不登校当初からしばらく時間が経つと、親子でぶつかることもだんだん少なくなり、学校に行かないことが「日常」というか「当たり前」になってくるところがあります。そうなると子どもは、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、好きな物を食べ、好きなテレビを見たり、ゲームをやったりする毎日ですから、親からすれば本当に好き勝手にやっているように見えると思います。でも、本当に居心地がよくて、安心していられる状態であるなら、元気が出て、家の中でじっとしてなんかいられません。家にひきこもっていることしかできない状態というのは、やはり心のなかに罪悪感、劣等感、苦しさ、申し訳なさを抱えていると考えるのが自然です。つまり、「学校は休んでいるけど、心は休めていない」状態にあるわけです。

親の対応で嫌だったことは?

藤谷  小5のとき、不登校になって間もない頃ですが、それまでは、「学校に行きなさい」と言ったり言わなかったりしていた母が、突然、「あまり無理して行かなくてもいいんじゃない?」と言ったことがあります。

 そのとき私は、「そうか、無理して行かなくてもいいんだ」とほっとしたというよりは、「きっと教育相談室で入れ知恵されてきたんだろう」と思い、口先だけで私の気持ちをわかった気になっているようで、ムカッとしました。
海野  参加者のなかにも、同じような経験をされた方がいらっしゃるのではないでしょうか。藤谷さんのお母さんのように相談機関や医療機関に通っていると、面談のなかで具体的なアドバイスが出てくることがあります。そこでアドバイスどおりやってみると、だいたいうまくいかないことのほうが多いんですね。

 そもそもそういうアドバイスは、日頃、親御さんがやっていることと異なる場合が多いので、子どもは「なぜ急にそんなことをするの?」と疑念を抱きます。突然、親の対応が変わるのは、それがどんなにいいことであっても子どもを不安にさせます。なぜ急に変わったか、その経緯や理由が見えないからです。

 だからアドバイスを実行する前に、まずお子さんに説明してあげてください。たとえば、「今日、相談室に行ったら、カウンセラーの人に『学校に行けなくて苦しんでいるのはお子さんのほうなんだから、お母さんから無理に行かなくてもいいよと言ってあげたら?』と言われたの。正直、行かなくていいなんて、お母さんにはなかなか言えないんだけど、でも今、行くのが難しかったら無理して行かなくていいよ」。こんな言い方をしてあげると、子どもは急に対応が変わった理由がわかるので、お母さんがとても透明に見える。いわゆる裏のない感じです。それはお母さんに対する安心感にもつながると思います。
藤谷  2つ目はいちばん辛い思い出なんですが、いつものように私が部屋で暴れていたときに、突然、母が私の両肩をつかんで揺さぶるようにして、「帰ってきてよ!」と泣き叫んだことがありました。「学校に普通に通っていた頃の私に戻って!」という意味なんだと思います。その言葉を聞いて、今の自分は母の望んでいるような自分ではないんだとか、今の自分を母は見ようとしてくれないんだとか、自分は精神的におかしくなってしまったんじゃないかとか、いろんな思いが頭の中で渦巻いて…。それと、そんな言葉を母に言わせるほど自分は母を追いつめてしまったんだ、という申し訳なさも感じました。

 当時の小学生にとって、自分をとりまく世界の大きな部分を占めているのは学校と家庭です。それなのに学校には行けないし、頼りにしていた母にもそんなことを言われてしまうし、もうこの世界に自分の居場所はないんじゃないかと、自分の足元が崩れていくような気持ちでした。今、振り返ってみれば、ただ単に娘に元気になってほしいということだったんだと思いますが、当時は本当に辛かった。
海野  お母さん自身が、たまらなくなっていたのだろうと思います。お母さんは、早くから教育相談室に通い、いろいろ配慮して気をつかって、神経をすり減らしながら藤谷さんと向き合ってきた。そうして長い間抑えていたものが、この瞬間にすべてぶっ飛んでしまい、自分の思いをぶつけるしかなかったのでしょう。

 今でも思い出すと涙が出てくるくらい辛いのは、信頼していたお母さんにも見捨てられたんじゃないかという思いがあったからでしょう。これまで藤谷さんのなかに「なんとかなるんじゃないか」という気持ちがあったかもしれないけど、ここに来て、もう行き着くところまで来た、覚悟を決めるしかない、と。そういう思いに至るきっかけとなった出来事ではないかと思います。お母さんにも藤谷さんにも辛い出来事だったけれども、この体験を通して、お母さんと藤谷さんの関係がより深まったのではないでしょうか。

お父さんとの関係は?

藤谷  父とは仕事が忙しいこともあって、なかなか顔を合わせる機会がなかったのですが、私の知らない間に占い師に相談に行ったようです。

 その占い師は、私の不登校について、叔父の供養をちゃんとしていないせいだとか、家の水道の蛇口の位置が悪いからだとか言ったらしく、それをまともに受けとった父は、蛇口の位置を変えたり、わざわざ仙台まで行ってお墓参りをしたりしていました。

 正直言って「はぁ?」という感じでしたし、なによりも娘の不登校に正面から向き合わず、占い師にすがっている父の姿に引いてしまいました。
海野  占い師という言葉が出たとき、会場からどよめきが起こりましたが、なかには身におぼえのある方もいらっしゃるかもしれません。私の地元の八王子にも有名な占い師がいて、うちの相談室に来られた方からも「(その占い師に)相談してきました」と言われたことがあります。

 わが子の不登校をどう理解したらいいかわからないとか、なにをどうすればいいか皆目見当がつかないというときに、占いや宗教にすがりつきたくなるのは、人間の弱さとして自然な現象かもしれません。おそらく藤谷さんのお父さんも、ご自分の理解の埒外だったのでしょう。
藤谷  父は、私と母がケンカばかりしているのを見て、不登校の原因は母との不仲だと思ったらしく、母を実家に帰そうとしたこともあります。母とケンカばかりしていたのは事実だけれど、それは言いたいことの言える関係、本音をぶつけ合ってケンカのできる関係ということです。父は大きな勘違いをしていました。

親の対応でうれしかったことは?

藤谷  中1の頃、母と一緒に妹たちの幼稚園のお迎えに行ったとき、ママ友が「あれ? お姉ちゃん、今日学校は?」と聞いてきて、それに対して母がごく自然に「今ちょっとお休みしているのよ」と答えてくれたんです。嘘をつくこともできたはずですが、しどろもどろにもならず、さらっと答えてくれたことで、自分は母に受け入れてもらえたんだと感じました。

 もうひとつは給食費のことです。母は私が学校に行けない間もずっと給食費を払い続けてくれたのですが、中2のある日、「給食費をストップすることもできるみたいだけど、どうしたらいい?」と聞かれました。私は、学校にはしばらく行かないだろうという気持ちがあったので、「止めてもいいよ」と答えましたが、それを私に決めさせてくれたことがとてもうれしかったし、聞き方もよかった。もし、そのとき母の表情が不安そうだったり険悪な感じだったら、私は空気を読んで「止めなくていい」と言っていたと思います。この頃から学校や進路に関する話も、母と素直にできるようになった気がします。
海野  お母さんがそんなふうに言えるようになるまでには、おそらくお母さん自身も大変な思いを重ねてきたはずです。先ほど不登校の子どもは「学校は休んでいるけど、心は休めていない」状態だと言いましたが、実は親御さんも同じで、やはり電池切れになってしまう。

 そんな状況のなか、親御さんが自分の苦しい思いを誰かに受けとめてもらってはじめて、わが子を受け入れようという心の余裕が生まれてくるのだと思います。藤谷さんのお母さんが娘の不登校を認めることができた背景には、お母さんを支えてくれた人の存在がきっとあったんだろうと思います。このように親御さんが少しでも受け入れてもらえたという体験をすることが、子どもを受け入れるには非常に大事だということをあらためて感じました。

中2から適応指導教室に通いはじめる

藤谷  適応指導教室には中2の夏から通いはじめたのですが、実は小5のときにも見学に行っています。そのときは泣いて泣いて、相談員の方ともなにも話さず帰ってきました。それで、母からもう一度行ってみたらと言われて通うようになりました。

 毎日行かなくてもいいし、勉強してもしなくてもいいという、ゆるい環境が私には合っていたのかもしれません。最初は緊張しましたが、同学年の子も何人かいて少しずつ慣れていきました。みんな不登校という共通点があったので、学校とは違う不思議な安心感があって通えたのかもしれません。そこで友だちができ、久しぶりに心の底から大笑いする経験も味わいました。中3になる頃には、適応指導教室の行事やさまざまな活動に参加するようになり、どんどん活動範囲が広がっていきました。以前のように、いい子に思われるための活動ではなく、自分のやりたいことに対して積極的になっていった感じです。
海野  小5のときは受け入れられなかった適応指導教室に、中2のときは通えるようになった。これはとても大事なポイントです。おそらくお母さんが不登校を認め、受け入れてくれたと感じる体験が重なるなかで、藤谷さんが適応指導教室をプラスに受けとめられる状態になっていたということでしょう。

 これを「受容」という言葉で説明すると、かつて元気で活発でクラスの中心で光り輝やいていた藤谷さんが、自分の陰の部分(弱い自分、ダメな自分)も含めて自分なんだと受け入れられるようになったということかもしれません。それは、お母さんが藤谷さんを受け入れるということがあってこそだと思います。

高校進学に向けて

海野  高校進学に向けてどのように情報を集め、どのように動いたのかを教えてください。
藤谷  適応指導教室に通うようになって、そこの相談員の先生の温かく包み込むような雰囲気に憧れたこともあり、自分もこういう仕事に就きたいと考えるようになりました。その仕事に就くためには大学に進学する必要があるし、となると高校にも行きたいと思いはじめて、中3の夏休み明けから家庭教師に来てもらい、中1レベルまでさかのぼって勉強を始めました。

 当初は私立高校を考えていて、母が電話であちこちに問い合わせてくれたのですが、ほとんどの学校から欠席日数を理由に断られ、受験することさえできませんでした。そこでやむなく、「不登校枠」のある県立高校を受験することにしました。
海野  「不登校枠」という言葉が出ましたが、これは15年ほど前の話で、現在は受験制度もかなり変わってきています。たとえば東京都では、中学時代に不登校だった子どもたちを対象とした高校「チャレンジスクール」が5校設立されています。受験は面接と作文だけ、内申書も必要ありません。それ以外に「チャレンジ枠」というのもあり、この枠を設けている八王子市の都立高校では、一般枠(10クラス)とは別に、不登校経験者のためのチャレンジ枠(2クラス)があります。東京都に限らず、いろいろな自治体で不登校経験者を受け入れる高校が設立されていますので、インターネットなどで調べてみてください。

 高校進学が目前に迫ると、親御さんはなんとか受験勉強をさせようとしがちですが、あえて受験勉強をさせようとしなくて大丈夫です。進路については、「今その子がもっている学力で入れる高校」という条件を優先してください。少しでもいい高校に入れたいのが親心だと思いますが、そうすると、かえって子どもの意欲をくじくような結果になりやすい。大切なのは、その子のそのときの状況に見合った高校に入ること。それがいかにその子を支え、自信につながるか。そこを考えることがひとつのポイントになります。
藤谷  今、海野先生がおっしゃったように、私もそのときの自分の学力に見合った県立高校に入学しました。入学後、1学期までは頑張っていましたが、そもそも朝起きるのがすごく苦手なので、だんだん疲れてきて…。最初は1日でも休んだら、また学校に行けなくなってしまうんじゃないかという不安がありました。学校には行っているけれど、心の半分はまだ不登校のままだったんだと思います。それがだんだんと、1日くらい休んでも前のような状態には戻らないと思えるようになって、疲れたから1日休もうとか、今日は3時限目から行こうとか、自分でコントロールできるようになってきました。

 私は小さい頃から、自分は今どれくらい疲れているのか、どれくらい頑張りすぎているのかを自覚して上手に休むということができなかったんですが、自分で疲れ具合を判断して休む日を調整できるようになったことが、私にとっての回復のあらわれだったのかなと思います。どの学校でも可能なことなのかはわかりませんが、担任の先生が、この授業はあと何回休んだら成績がワンランク下がるという一覧表を作ってくれて(笑)、それを見ながら適度に休んでいました。
海野  今のお話にあったように、不登校だった子が学校に行きはじめると、「1日でも休んだらまた行けなくなるんじゃないか」という不安にさいなまれます。だから怖くて休めない。それでまた無理をしてギリギリまで頑張って、急にドーンと休んじゃうみたいなことが起こりやすいんです。

 藤谷さんのように自分の状態に合わせて休みをとれるようになることは、会社員が有給休暇をうまく使ってエネルギー補給をする感覚だと思います。不登校の子どもたちは生真面目で、いい加減なことができないタイプが多いので、学校に行くとなったらしゃかりきになって行く、行かないとなったらテコでも動かないといった両極端なところがあります。そのへんが少しずつ和らいでいくことが、不登校からの回復を象徴する、ひとつのあらわれだろうと思います。

それまで学校に行ってなくて、高校での勉強は大変じゃなかった?

藤谷  小5から中3まで5年間学校に行っていなかったので、入学当初は人の5倍は頑張らないと追いつけないと考えていました。だから入学前から小中学校の計算ドリルなどを買ってきて勉強していました。でも、いざ授業が始まると、それまで勉強していなかったぶん授業や勉強がとにかく面白くて、授業の合間に先生が話す豆知識や雑談までノートに書き込んでいたくらいです。

 ここで、「うちの子は勉強が嫌いだから、その話は参考にならないわ」と思わないでほしいのです。私は誰かに言われて勉強するようになったのではなく、楽しいから、面白いから勉強するようになったんです。私の場合、たまたまやりたいことが勉強だっただけで、アニメでも音楽でもアルバイトでもなんでもいい。本人の内側から、これが好きだ、これがしたいんだという気持ちが生まれてくることが大切だと思っています。それが、その子のなかにエネルギーがたまってきた証拠であり、本人の内側から湧き上がってくるものは、その子の本質にぴったりくる要素があると思うので、ぜひ大事にしてあげてください。
海野  やりたいことが勉強というのは、親御さんにとってはうらやましいかぎりだと思いますが、実は不登校の子どもたちが少し元気になってきたときにどんなことをやり始めるかというと、親が期待していることとはいちばん遠いところから興味関心が始まると思ったほうがいいです。多くのお子さんがまず興味をもつのは、テレビ、アニメ、ゲームだと思いますが、親からすれば、なんの役にも立たないことにのめり込んでいるわけですから、「いいかげんにしろ」「誰が電気代を払っていると思ってるんだ」と言いたくもなるでしょう。

 ところが、このなんの役にも立たないように見えることが、子どもにとって大きな支えになる面があるんです。たとえばゲームについて考えてみると、不登校の子どもにはあり余るほどの時間があるから何時間でもゲームをやる。すると習熟度がどんどん上がる。やればやっただけの成果が目に見える。達成感が得られる。自分は学校には行ってないけど、これだけは負けないぞという自信にもつながったりします。

 10年以上前の話ですが、私が相談で担当していた男の子がゲームの団体戦で全国第3位に入ったことがあります。その子は高校入学後にチームを組んでゲーム競技に参加するようになったのですが、チームで作戦を立て、練習をして、試合で成果を出すことをくり返すなかで、どんどん自信をつけ、興味関心が広がっていきました。これはゲームに限ったことではなく、自分が好きなこと、やりたいことに取り組むことが、その子の意欲を高め、興味関心を広げてくれるといってよいでしょう。

 勉強のことについて言うと、中学校時代の勉強が身についていない、あるいは小学校時代の勉強もあやしいという場合は、通信制高校やサポート校などがその抜け落ちた学習の部分について、さかのぼってきめ細かにフォローしてくれることで知られています。進路先を検討するときは、インターネットや学校案内のパンフレットなど間接情報だけでなく、直接、学校見学等に足を運んで自分の目で見て、勉強の遅れに対するフォロー体制などについても確認することが大切です。

現在の相談員という仕事や自分の考え方のベースに不登校体験がある

海野  最後の質問になりますが、藤谷さんの不登校体験と、現在の相談員という仕事に就こうと思ったこととはなにか関係がありますか?
藤谷  はい、関係があると思っています。不登校になっていわゆる普通のルートから外れ、自分がマイノリティ(少数派)の側になってしまったという思いがあって、そこから不登校だけでなく、社会的な少数派、弱い立場の人々に関心をもつようになりました。不登校になると、とにかく時間だけはあるので、生きることや死ぬことについても考えたりするなかで、人の心の世界についてもっと知りたいと思うようになり、大学で心理学を学びました。

 私が勤めている相談室には、「毎日ハッピーです」という方はあまりいらっしゃらないわけで、みなさんなんらかの困りごとや不安な気持ちを抱えて相談にみえます。けれども、不安を抱えている、困っているということは悪いことでも弱いことでもなく、なにかに一所懸命向き合っているということだと思います。そして、その苦しみや悩みのなかにこそ、その人の魅力や力があると思っています。

 だから、その人の苦しみを勝手にわかったような気になってはいけないし、一人ひとりの苦しみに敬意をもって、その人にとっての苦しみの意味、たとえば不登校であれば、その子が不登校になった意味、親として子どもの不登校を経験した意味というものを一緒に考えていきたいと思っています。そういう視点をもつようになったのは、自分の不登校の経験がベースになっているのかなと思います。

 不登校の子どもたちは私と同じように、ある日突然、少数派になってしまった存在であり、親御さんもまた、不登校の子の親という少数派になったといえるかもしれません。その大変な思いを誰かに受け入れられてはじめて、親も子もこれから先を見据える心の余裕ができるのではないかと考えていますので、そうした家族の思いに寄り添っていけるような相談員になりたいと、自分の不登校経験を通して思うようになりました。
海野  ありがとうございます。今日、お話を聞かせていただいて、藤谷さんが元気で活発でクラスの中心的存在だった自分の陰に、自分でもどうにもならない弱い自分がいることに気づいて、そんな自分をどう受け入れるか苦しんだ、そのプロセスがとても心に残りました。その辛いプロセスを投げ出さず、継続することができたのは、やはりお母さんが藤谷さんを受け入れようとして、自らも苦しみしながら一緒に歩んでくれたことが大きいのかなと感じます。

 人が人を受け入れるというのは、本当に難しいことだろうと思います。期間限定でもいいし、一瞬でもかまわないけれど、今、わが子が学校に行けないということを親御さんがわかろうとしてくれた、認めてくれたとその子がちょっとでも感じられたら、それはその子にとって本当に心が安らぐひとときになるのではないでしょうか。それを実行するのは大変なことですが、親御さんもどうかご自身を大切にして過ごしていただければと願っています。

 苦しい体験を話してくださった藤谷さん、また、長時間ご静聴いただいた会場のみなさま、ありがとうございました。

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