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父親のための不登校理解講座 Part1

※本稿は、登進研バックアップセミナー27で行われた、トークセッション「父親のための不登校理解講座 第1回―父親の役割、母親の役割」の内容をまとめたものです。

第1回「父親の役割、母親の役割」

大木みわ(植草学園短期大学教授)&荒井裕司(登進研代表)

荒井 お子さんが不登校になったとき、「夫が協力してくれない」「不登校について理解がない」と嘆いているお母さんはたくさんいます。そこで今日は、私がお父さんの立場に立って、大木先生にいろいろ質問をしたいと思います。

親は不登校の原因を知りたがるけれど…

荒井 子どもが不登校になったとき、親はその原因を知りたいと思います。でも、たいていの場合、子どもから満足のいく答えは返ってきません。原因がわかれば、解決方法も浮かんでくるかもしれないし、子どもの気持ちを理解するためにも、不登校の原因を知ることが必要じゃないかと思うんですが…。
大木 親が子どもの不登校の原因を探りたくなるのは、当然のことだと思います。
でも、「なぜ行かないんだ?」と聞いても、子どもは黙りこんでしまうことが多いはず。それでも無理に聞き出すと、「クラス替えがあって友だちがいない」「新しい担任がイヤ」「嫌いな子と同じ班になった」など、とりあえず理由を言います。ご両親は、だったら、その原因を解消すれば学校に行くんじゃないかと思って、原因を取り除こうとするんですが、それをやったところで問題は一向に解決しない。そういうことが、ここ何十年の実践や研究で明らかになってきました。
荒井 かつて、このセミナーで不登校の経験を話してくれた女の子が言った言葉を思い出しました。「いじめられていることは確かだけど、それだけが理由じゃないし…。不登校の理由が自分ではっきりわかっていたら、こんなに悩んだり苦しんだりしない」と。
自分でも理由がわからない子どもたちを「なぜなんだ?!」と問いつめていくことは、結果的に、子どもたちが心を閉ざしていくことにつながっていくのかもしれませんね。

子どもとぶつかることも必要

荒井 子どもが不登校になったとき、たいていのお父さんは「無理にでも学校に行かせようとする」「学校に行けないわが子をダメな人間として責める」というパターンになりがちです。そういうのは、やっぱりダメなお父さんでしょうか?
大木 どこのお父さんも一家を支えようとして必死に働いているわけですから、学校に行こうとしない子どもに対して腹が立つ気持ちはよくわかります。
子どもが不登校になるのは、その子自身や、その子を支えている家族のエネルギーでは突破できない壁が立ちはだかったときです。壁が低かったり薄かったりすれば、お父さんとお母さんが心を合わせて行動することで簡単に解決できてしまう場合もありますが、問題が複雑になってくると、そう簡単には壁をクリアできません。

そんなとき、お父さんとしては、たとえば、「一緒に学校に行ってみよう」と言ってみるとか、あるいは、子どもに言いたいことをぶちまけてみるといったことが必要です。ただ腕組みして考えていてもダメ。お母さん任せもダメ。
そうして、お父さん自身があれこれ手をつくしてみて、それでも、「やっぱり子どもは動けないんだ」ということが身にしみてわからないと、「じゃあ、もっと違ったやり方をしないといけない」ということがわからない。これまでの父親としてのやり方をあきらめて方向転換するためには、どうしても子どもとぶつかることが必要なんですね。
だから、子どもが不登校になったら、まず驚いて、あわてふためくという段階が必ずあるし、それは、お父さん自身が変わっていくためにも必要な段階なんだと思います。

子どもとのコミュニケーションのとり方

荒井 母親にくらべて、父親は子どもとの会話が少なくなりがちですが、そんなお父さんが子どもと上手にコミュニケーションをとるにはどうしたらいいでしょうか?
子どもが不登校になったからといって、急にコミュニケーションをとろうとしても、なかなか難しいですよね。ある青年が不登校になったとき、お父さんがやたら話しかけてくるようになったそうですが、これまでロクに話もしなかったものだから、お父さんはなにを言ったらいいのか全然わからない。そんなある日、家族みんなで夕食をとっていたら、お父さんが突然「今日は月曜日だな」と話しかけてきた(笑)。彼が「だからなんだよ」と返すと、「明日は火曜日だ」(爆笑)と言ったという笑い話がありました。
大木 子どもが小さいころは、おもにお母さんの価値観の影響を受けながら育っていきます。とくに最近はサラリーマン家庭が多くなってきたので、お父さんが昼間どこでどんな仕事をしているかも見えないし、子どもが寝てから帰宅して、寝ているうちに出勤するといったお父さんも少なくありません。そういう生活のなかで、お父さんの影はますます薄くなる一方です。だから、子どもはどうしてもお母さんベッタリになりがちなんですね。

でも、子どもが成長するにつれて、母親の影響下から外の世界へ一歩踏み出そうとするとき、父親という存在が必要になってきます。社会のなかでどうやって生きていくのかを考えるとき、いちばん身近なモデルは父親です。だから、父親がなにを思い、なにを考えているのかが気になってくるんですね。
そのとき、たとえ上手にコミュニケーションがとれない状況になっていたとしても、そこではじめてコミュニケーションをとれるチャンスが来たと考えればいいし、子どもが求めてきたら自然体で応じればいいんじゃないかと思います。

また、お母さんの役割も大切で、子どもには見えにくいお父さんの存在を、お母さんがもう少し見えるようにしてあげるといいんじゃないでしょうか。たとえば、ふだんからお子さんとの会話のなかで、「お父さんは昔、野球部でサードを守っていたんだよ」「いまは巨人が好きみたいよ」とか「うちではあんなだけど、会社では優秀な技術者なのよ」とか、お父さんの存在をさりげなく話のなかに登場させる。そうすると、お父さんも、お子さんとコミュニケーションをとりやすくなるんじゃないかと思います。
反対に、お子さんが「今日はお父さん、帰りが遅いの?」などと聞いてきたとき、「知らないわよ、あんな人」(笑)とか言ってしまうと、お父さんとお子さんとの関係はますます遠くなってしまいます。
そのほか、リビングで親子3人がたまたま一緒にいるような機会があったら、お母さんはそこからそっと立ち去って、お父さんと子どもの2人だけにするといった配慮があってもいいかもしれません。そんなとき、お父さんは無理に話しかけないで、いつものように新聞を見ているといった態度がいいでしょう。そして、「きのうは巨人、勝ったのか?」とか、父親がどんなことに興味があるかをなんとなく伝えておく。すると次の機会に、子どものほうから「ゆうべは巨人、負けたよ」などと話しかけてくることもありますよ。

ただし、子どもが精神的にいちばんつらいときは、お父さんを避けようとすることが多いようです。お父さんと一緒にいるときは頑張らなくちゃいけないと思っているからなのか、お父さんと顔を合わせないようにすることもあります。そういうときは無理にかかわろうとせず、そっとしておくことも大切です。
荒井 私がかかわった不登校の女の子は、お父さんと正面で向き合って話をすることは一切できないんだけど、車の助手席に座っていると、運転しているお父さんと話がしやすいんだそうです。その子なりの話しやすい姿勢とか場所とか環境みたいなものがあるのかもしれませんね。それから、あるお子さんは、お父さんが「無理して学校に行かなくてもいい」とお母さんに言ってくれたそうで、それをお母さんから聞いたとき、「とてもうれしかった」と言っていました。この場合、お父さんが直接子どもと話をしたわけではないけれど、お母さんを介して子どもとコミュニケーションをとったということになります。こういうコミュニケーションのとり方もあるという意味で、参考になるかと思います。

親が言ってしまいがちな禁句とは?

荒井 子どもを叱るときとか話をするときに、お父さんお母さんが言ってしまいがちな禁句というのはありますか?
大木 「あなたなんかいないほうがいい」「そんなことをやっていたら世の中では通用しない」「あなたを産まなきゃ苦労しなかった」…こういう否定的な言葉を、気持ちが弱っているときにいちばん身近な親から言われるとキツイですよ。
不登校の子どもは自己否定感で頭がいっぱいになっていますから、それを「生きているだけでいいんだ」という自己肯定感に変えてあげる必要があります。そうやって自己イメージをマイナスからプラスに転換していかないと、なかなか元気を取り戻せない。学校にも行かないで家でゴロゴロしていたら、否定的な言葉を吐きたくなるのもわかりますが、そこは目をつむって、じっと我慢して、黙っているようにしてあげてください。
荒井 ある青年は、不登校だったとき、お母さんから「あなたさえいなければ…」と言われて心にグサッときたそうです。でも、自分のほうも、わざと目につくところに「死にたい」と書いた紙を置いておくようなひどい仕返しをしたから、「この件についてはイーブンかな」と笑っていました。もともとこの青年は、お母さんととても仲がよくて、不登校中の心の支えは、なによりもお母さんの存在だったと言っています。そういう親密な関係にあるからこそ、心配のあまりポロッと禁句が出てしまうこともあるのではないでしょうか。
だから、子どもといい関係をつくるためには、禁句だのなんだのにあまり神経質になるよりも、子どものいいところをほめることのほうが大事じゃないかなと思います。
大木 子どもをほめろと言われても、ほめるところが見つからないというお母さんがいました。子どものイヤなところダメなところは100個でも思いつくけど、いいところなんかひとつも思い浮かばない。どうしたらいいんでしょう…と言うんです。
でも、生まれたときは寝てばかりいたのに一人で歩けるようになった、ごはんも口に入れてあげていたのが自分で食べられるようになった、鉛筆を持たせてもいたずら描きばかりしていたのに、漢字が書けて、数字も書けて計算までできるようになった…というように、よくここまで成長したなあと考えてみてください。

実は、子ども自身もそういうことを忘れてしまっています。不登校になったり、なにかうまくいかないことがあると、人間はかつて自分が失敗したときのイメージばかりが頭に浮かんでくるようになります。「運動会のときビリだった」「○○先生に叱られた」など、たくさんの思い出のなかから、自分にとってイヤだったこと、ダメだったことばかりを選び出して思い出すようになるんです。
それを修復するためには、プラスイメージを思い出すように手助けしてあげること。たとえば、小さいころのアルバムを出してきて一緒に見るのはどうでしょう。アルバムにはいい思い出、楽しい思い出がたくさんつまっていますから、それを見ながら、「学芸会のときのお芝居はホントに上手だったわ」「○○山に登ったときは楽しかったね」など思い出話に花を咲かせて、家族みんなで前向きなイメージ、プラスイメージのタネを作り出すことが大切です。不登校の子どもが、小さいときのアルバムを探し出して一人でこっそり見ているようなときは、自分のなかに、楽しかったころの自分、元気だったころの自分を取り戻したいんだろうなあと考えてあげてください。

ただ黙って見守っているだけでいいのか?

荒井 「登校刺激はよくない」といわれますが、そのせいか子どもに対してはれものに触るような感じになって、なにも言えないお父さんも多いかと思います。でも、子どもを叱ることは教育の大事な要素のひとつであり、子どもを受容する、ありのままを受け入れるということと、なにも言わずに手をこまねいて見ていることはちがうと思うんですが…。
大木 子どものなかには、成長したいとか、立派になりたいとか、もっと生きたいとかいうエネルギーがあります。だから、学校に行かないでゴロゴロしている自分に対して「そのままでいいんだよ」と言われると、本人もちょっと困ってしまうんです。
そういうとき、お父さんが「学校に行かなくても、最低限これだけはやっておけよ」ということを、その子の力に合わせてアドバイスしてあげると、子どものなかに「それだけはちゃんとやろう」という自分を支える芯棒みたいなものができてくるんですね。
なにをしてもまったく自由な環境にいると、逆に自分というものがなくなってしまいそうな恐怖感におそわれることがあります。それがあまりに恐ろしくて不安で、大声を出したり、泣き叫んだり、暴れたりする子もいます。だから、ただ黙ってやりたいようにやらせておくのではなく、ケジメをつけるべきときは、きちんと叱ったり、親の思いや考えを伝えるべきだと思います。

子どもは、いまの状況から一歩踏み出したい、外の世界に出ていきたいと思っていても、どうしたらいいかわからないという不安をかかえています。外の世界に飛び出すことは、お母さんの腕のなかから飛び出すことですから、そのときこそお父さんの出番。お父さんの大事な役割のひとつは、子どもが外に出ていくための自信とチャンスを与えてあげることです。
そのためには、たとえば「いい学校に行って、いい会社に入るのが幸せな人生」とか、そういうお決まりのパターンだけでなく、いろいろな生き方があることを認めてあげて、子どもがどんな生き方を選んでも応援するという姿勢を示すことがなによりも大切です。
具体的には、まず、「お前の能力だったら、こんなことも、あんなこともできるよ」という情報をできるだけたくさん与えてあげること、そして、「だから、勇気を出して一歩踏み出してごらん」と背中を押してあげることが必要になるでしょう。

夫婦ゲンカは子どもにどんな影響をあたえるか?

荒井 子どもの不登校をめぐって夫婦ゲンカが始まることも多いものですが、そんなとき、お父さんお母さんが気をつけないといけないことは?
大木 お父さんとお母さんは、結婚するまでは別々の人生を歩んできたわけですし、男性と女性というちがいもある。ですから、考え方や感じ方がちがって当たり前なんですね。
そういう違う者同士が、互いに自分の言い分を言いあい、十分に話し合ったうえで、家族としてひとつの行動をとっていくことが大切なんだと思います。これは社会生活の基本であり、家庭は社会の縮図のようなものと考えれば、子どもが世の中に出たときの基本的なルールを学ぶ場所でもあるわけです。
ただし、子どもが家族というものをバネにして外の世界に飛び出していこうとするときに、その母体である家族が対立していたら、うまく飛び出せなくなってしまうし、ましてや、その対立の原因が自分にあるわけですから子どもは非常につらい思いをします。だから、できればケンカにならない方法で、話し合いができればいいなとは思います。
荒井 ケンカになるくらい、お父さんもお母さんも必死なんだということを、子どもにわからせることも大事だと、私なんかは思うんですけどね。
大木 あるお母さんがカウンセラーに相談に行ったら、「とにかくお父さんに任せなさい」と言われて、そのうえ、「お父さんがどんな対応をしようが、お母さんは一切、口をはさんではいけない」と言われたそうです。
実は、このお母さんは、それまでお父さんが子どもになにを言っても、お父さんのいないところで、「お父さんはあんなこと言ったけど気にしなくていいから」とか「お父さんの言うことなんか聞かなくていいから」とか言いつづけていたんですね。つまり、お父さんが火をつけると、お母さんが火消し役にまわっていたわけです。でも、これは結局のところ、お父さんをずっと否定しつづけたに等しい。だから、これまでは、お父さんがいくら言っても、まったく効果がなかった。

ところが、カウンセラーの話を聞いたこのお父さんは「じゃあ、オレに任せてくれ」と言って、子どもを自分の前に座らせてぶん殴ったんですね。
お父さんは、もとともおとなしい物静かな人なので、お母さんはもうびっくりしてしまって口もきけず、腰が抜けたようになったらしい。お父さんのほうも初めて子どもを殴ったりしたものだから、子どものことが心配でたまらないらしく、それからは仕事もそこそこに早く帰ってきたりしたそうです。
そんなある日、帰宅したお父さんが子どもに車に乗れと言って海に連れて行って、真っ暗な海を2人で黙って見ていたというんです。子どもは、いつまた殴られるかと思ってドキドキしていると、お父さんがどこからかジュースを買ってきて、2人でそれを飲んで帰ってきた。ただそれだけなんですが、こういうつきあいはお母さんには絶対にできないんですね。
その子はそれから1週間もたたないうちに人が変わったようになって、学校に行き出したそうです。どうしてかはわかりませんが、それまでお母さんにも無視されて影の薄かったお父さんが、突然いままでとまったくちがう態度を示したことで、真剣に自分のことを考えてくれているということが、子どもにもわかったんだと思います。それで、子どもの心のなかになんらかの変化が起こったのではないでしょうか。

最終目標は「学校に行かせること」ではない

荒井 仕事に追われるお父さんが、つい「子どものことはお母さん任せ」になるのはしかたのない面もあるかと思います。そういうお父さんが、子どもやお母さんに対してできることはなんでしょうか?
大木 あるお父さんは、相談機関で「お父さんがかかわらないとダメなんです」と言われて、なるほどと思ったらしいんですが、これまであまり子どもとつきあってこなかったお父さんにとって、毎日会社から早く帰ってきて不登校の子どものよき父親をやるのは気が重いと言っていました。そんなある日、仕事を終えて自宅のある駅に降り立ったら気分が悪くなってしまい、それ以来、帰宅恐怖症になってしまったんです。もっともだと思いますよ。

お母さんというのは、子どもがおなかにいるときから現在にいたるまで、やれ熱を出した、おなかをこわした、友だちにいじめられた、先生とトラブルがあった…というように、いろいろなことを子どもと一緒に乗り越えて、母親になっていくというプロセスがあるんです。一方、お父さんにはそういう日々の小さな積み重ねのようなものはないし、なんでも任せられるお母さんが家にいるからこそ、お父さんはなんの心配もなく仕事に専念できるわけですね。そういうお父さんが、いきなり不登校の子どもの父親をやれといわれるわけですから、これはたいへんです。逃げ出したくなる気持ちもわかりますよ。

不登校というのは、あるひとつの家庭のなかだけで起こっていることではなく、時代という大きな流れのなかで起こっていることですから、夫婦そろって頑張ってもなかなか片づけられないくらい大変なことです。そういう問題に立ち向かうわけですから、お父さんもお母さんも、お互いに「大変だね」といういたわりの気持ちをもたないとやってられないという部分はあるでしょうね。
荒井 夫婦が協力することが大切というお話は、ホントにそのとおりだと思います。
ただ、お父さんとお母さんが協力して頑張っていくときに、その最終目標は「学校に行かせること」ではないと思います。まず、子どもの気持ちがラクになるにはどうしたらいいか、安心して毎日を過ごすためにはどうしたらいいかを考えていかなければいけない。
そういう心の安定、安心、楽しさ、生きる喜びが得られて、はじめて外の世界に一歩を踏み出すことができるようになるのではないでしょうか。外の世界というのも、学校だけではなく、いろいろな世界、生き方があるわけで、お父さんには、そういう外の世界のいろいろな情報を持ってきてもらう役割を担ってほしいですね。
大木 いろいろな生き方にふれるチャンスをもっともっと増やしていくこと、それをお父さんとお母さんが一緒になって考えていくことが大切だと思います。

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